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江戸時代、京風は贅沢、豪奢だったのか?
昨年、テレビドラマでは『大奥』がやっていましたね。 その中に登場するお万の方ですが、後に大奥総取締になったということは描かれていましたが、 ネットで検索していたら、春日局死後に大奥を京風(華やかに)してとてもお金を使ったという評価もあるようです。 ここでちょっと疑問が。当時、はたして京風は華やかなもの、あるいは豪奢なものだったのでしょうか? 大奥の贅沢が加速したのは、京からたくさんの女官が入ってきた綱吉以降などともいわれていますが、 まず経済力でいえば幕府の方が強大で、東福門院和子の入内に数百億かけたという逸話も残っていますよね。 片や朝廷側というと、近衛家や鷹司家でも旗本程度の資産しか持っていなかったといわれています。『天璋院篤姫』にも、確か和宮はかなり貧乏だったような記述がありました。 また、豪奢で絢爛豪華な安土桃山風の衣装や建築は武家のものです。 だとしたら、当時は贅沢なのはむしろ武家風だったのでは?と思ったんです。それとも、公家は限られたお金で精一杯贅沢をしていたのでしょうか。 贅沢=経済力というのは単純かもしれませんが、色々な小説に書かれているように京風が当時華やかだった、というのは何かおかしいな…と感じます。 当時の武家、公家の生活がどのようなものだったか興味があります。
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- gugestyper2
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回答No.1
お礼
回答ありがとうございます。 > 先ず<お金を沢山もっている>と<お金を沢山つかっている>とは同じでない事に注目 確かに。#1の方が仰っていたように、特に江戸時代初期はまだ戦国の雰囲気も残っていたでしょうし、あまり贅沢をする気分にはなれなかったかもしれません。 教えてくださったキーワードで検索してみたところ、東福門院に関して興味深いサイトがありました。 http://www.h6.dion.ne.jp/~tanaka42/top.html 東福門院に関しては和宮同様悲劇的な女性というイメージしかなかったのですが、それ以外の側面もたくさんあるとわかってうれしかったですね。