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侍の農作業
田んぼで米作りもしてましたと言う侍もいたのですか?それとも畑作だけで米まではやってませんでしたか?
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郷士身分以外の下級武士が明らかに米作もした例は薩摩と長州です。 他にも多くあったろうと思いますが、武士の米作農業は ・徴税外(お目こぼし)なので公式記録がない ・米作は協働作業を伴う専門技術であり、(武士の) 内職に向かない という理由から、武士がした他の内職(漆器、団扇作りなど)ほど広まらなかったろうと思います。 屋敷内での野菜作りなどは普通にあったろうと思いますが記録で確かめることが出来ませんね。
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- No51
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貴方がここで言う「侍」とは、 「幕藩体制の中での士農工商の士の身分」 と言う意味でしょうか? 「米作り」とは、禄米では不足する分を自給する、 という意味でしょうか? その辺を明記した方が、回答者の方も 答えやすいと思います。
お礼
ありがとうございます。
- 6dou_rinne
- ベストアンサー率25% (1361/5264)
郷士ならばともかく、ふつうの武士であれば田圃を所有していませんでしたので米作りはしていなかったと思います。 畑作りもそのための畑をもっていたというよりも自分の屋敷の中でということが多かったと思います。 ただ、藩によっては禄高の低い武士については近郊の農村にすんで農作業をすることを黙認していたところもあるので、そういう場合は屋敷畠いがいの畠をもっていたかもしれません。
お礼
米作りでなく畑作ということですね、ありがとうございます。
侍と農民は同じです。 農民が農地を守るために武装し、近隣の集団と提携して豪族になり、源氏や平氏といった貴族・皇族の末裔を神輿として担いだのが武士の始まりで、戦国時代は農繁期は田畑で農作業にいそしみ、農閑期に戦をしていました。 専業の武士が出現したのは「織田信長」以降で、豊臣秀吉が農民と武士を分けて農民から武具を取り上げ、徳川家康が身分を固定しました。 最下層の武士は「郷士」などと呼ばれ、身分は武士ながら実態は農民というものも居り、土佐の坂本竜馬などはこの郷士にあたります。 彼は山内家の前に土佐を治めた長宗我部氏の家臣の系統で、山内家の武士の下の階層に置かれました。
お礼
ありがとうございます。
お礼
ないことはないが記録として残らないということですね、ありがとうございます。