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世界はよりよくなっているのか?
先日、大学の先輩と議論になって、 どうしても腑に落ちないことがあります。 私は、「歴史的にみて世界は発展している」と思うのですが、 先輩はマルクス史観批判や構造主義の議論を持ち出し、 「人間なんてたいして進歩していない」と主張しました。 私のたてたロジックは、 私にとって、身近な人間の死は不幸である ↓ 身近な人間が、病気、事故、災害などにあい、その命を救う手立てがない社会は、私は嫌である。 ↓ 身近な人間が病気、事故、災害その他で急死することは、時代とともに激減した。 ↓ まだまだ克服できない病気その他はたくさんあるが、命を救う技術は確実に進歩してきた。 ↓ ゆえに、世界は人間にとってよりよくなっている 簡単にいうとこんなところです。 先輩の反論は、 「一つの価値感だけでその発展の度合いを時間軸で追っていくことは無意味」 「そもそも死んでいく人間の数は、歴史的に見て昔もいまもそれほど変わっていない。むしろ戦争や紛争、飢餓などで、その母数は増えている」 というものです。 確かに彼のいうことも理解できるのですが、 人類の歴史が発展を前提にしないならば、 人間が今生きて社会生活を営んでいることに、 どれほどの意味があるのだ、 なぜ子供を生むのだ、 と思ってしまいます。 皆さんはどのようにお考えでしょうか。
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レスありがとう。 案の定勉強家ですね。 がんばって下さい。 それはともかく 例えば、アメリカの黒人などは肉体的には随分進化していて、それは奴隷時代に過酷な生存競争さらされた、ために肉体的に優れた者しか子孫を残すことができない時代があった事が原因である。 と学んだ事があります。 人間といえども生物であって過酷な環境にさらされて尚、克服しえた者だけが生き残れます。 生理学的苦痛の大小は元々もって生まれた品種としての不足分もあります。 最も不足は運命であって、きっと人類は進化の目的物では無いのでしょう。 地球は現在の人類種全員数を”豊かに生活”させる能力は無いはずですし、中国へ経済投資が行われるようになった最近10数年来、それだけで日本人の経済的原因による自殺死が激増しました。 根本的には人口問題があるので科学技術が進歩しても”人類種全体からみて何も良くはならない”と感じています。 知識を幾ら学んでも人類世界は総合的に”良く”はならないと感じます。 「じゃあなんで勉強するんだ? 意味ないじゃん」と言われたら答えられませんけど。 まあ自分の人生なので、知識が増した分だけ楽しみは増えますよ、きっと。 ただし、 人間といえども、単なる生き物ですから他の固体を押しのけて自分が生き残ろうとし、戦争でもやります(最近ではイラク戦争など)。 戦争の大儀からすれば私個人などは虫けら以下ですが、なぜか家族・親類がハチャメチャな状態で”自分だけはしっかりしないと”と思う気持ちで生かされている様に思う事もあります。 ところで最近は役人・教師・警察まで、自分達だけの利益ために、悪事を働く事に無感覚な人達が増えたような・・・・、公職連中は学んだ知識を何に使っているのでしょうかね。 口実(建前)は立派でも悪事を働いて人を困らせては喜んでいる「国家予算の関係者」を裁判所が庇う国なんですよね。 極東アジア圏には中国・朝鮮・日本共に共通した問題があって「良く有る事」の割りに、一般には知られていない事もあるんですよね。 学校の勉強成績だけでは知識不足になります。 イヤ、まさか愚痴やたわごとを書くつもりはありませんでした。
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- rabbit_cat
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私自身は、当然、「世界はよりよくなっている」と思っています。 ただし、 >人類の歴史が発展を前提にしないならば、 >人間が今生きて社会生活を営んでいることに、 >どれほどの意味があるのだ、 この考え方にはかなり違和感があります。人類の歴史は、何か目的があって、それにむかって前進するためにやっている作業ではないはずです。 そもそも、歴史は何か必然性があってこうなってきたものではなくて、偶然が積み重なったものです。 すぐに、「あの時点で戦争がおきたのは歴史の必然だった」などという人がいますが、私はこの考え方には絶対に賛成できないです。今の私たちの世界の「歴史」は、他にも無数に考えられたはずの歴史の候補から、偶然に選ばれたもの(確率論でいうサンプルパス)にすぎないです。 たとえば、世界がより良くなるという目的が先にあって、その目的にあうように、神様が歴史を選択してきた、わけではないはずです。 つまり、私が「世界はよりよくなっている」というのは、 「なにか『理想の世界』というのがあって、世界がそれに少しでも近づくように動いてきた」 という意味ではなくて、 「偶然の積み重ねによってたまたまこれまでの歴史がたどってきた方向性を、『より良い世界』と定義することにしよう」 という意味です。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに歴史は偶然の蓄積であり、 そこに必然などというドラマチックな代物をさしこむのはナンセンスだと私も思います。 私が主張したいのは、 歴史自体は偶然だが、それを作ってきた人間たちの所業にはなんらかの「意図」が存在したはずである、という点です。 たとえば、太平洋戦争が起きたのは必然ではないですが、 当時開戦の決断を下した人々のなかには、 なんらかの「志向」があったように思います。 『理想の世界』があって、それに向かって世界は動いてきたとは思いませんが、 それでは人間はいままで理想の世界を思い描くことはなかったでしょうか。 ご意見お待ちしております。
すごくいい質問ですね。 僕としては世界はいい方向に向かっていると信じています。 人類の数、動物の数は過去から一定なのではないか?とか、海や空の汚れ度も地球という規模で考えると実は変わってないのではと思うのです。 しかし地球温暖化が促されているのも事実。森だって減少してビルなどのコンクリートの世界にもなってきている。 例えば電化製品など機械的なものが発達しています。それは便利であると同時に危険が伴うものもあります。だけど危険なだけ安全もあると思うのです。博打みたいなものですね。だから不良が犯罪をするとはいえないようなことです。(説明が下手ですいません) 人が理屈や理論で決め付けられるのであれば、人間を創造する意味はあったのでしょうか?それは神のいたずらかもしれない。もしそうでも知恵や心というものがあるのだから、そう考えてしまったらつまらないで終わってしまうと思うんです。せっかくこの世に生まれてきたなら楽しく生きたいと思うのは当然です。 子供を残す事だって証明するには、本能の意味を知らなければなりません。だけどそれは誰にも分からないと思います。それをどうにかして「数字」とかで証明しようとするのが世界をおかしくしているのだと思います。 愛し合って子供を授かる。その瞬間に宇宙が関わっているのではないでしょうか。 僕は世界が前進しているのは事実だと思いますが、心は後退していきつつあると思います。 だけどそれは誰にも決められないのも事実です。 だからこそ楽しく考えることこそ意味があると思っています。 生きるとは死にたくないから頑張って生きるのではなく、個々の人生の役割を探し、やり遂げるのが生きるということだと思います。 どれだけ自然に生きていけるかが答えだと思っています。 僕はそういう専門家ではないので、素人の意見ですがこういうテーマが好きなので書き込んでしまいました!
お礼
ご回答ありがとうございます。 「世界が全身しているのは事実だが、心は衰退している」とは興味深い指摘ですね。 考えが深められました。
- Somali_Shinji
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私はアナタの考えの方が的を射ていると思います。少なくとも「人の命」という観点からは、世界は救われていますから。それに一つの観点だけを追っていくことが無意味だとは思いません。反対にいくつの観点を追えば先輩はご満足でしょうか? 先輩が「数はそれほど変わっていない」と言ってますが、地球上に乗っかってる人間の数が爆発的に増えてるんだから、5000年前や100万年前と比較すれば、死ぬ絶対数はもっと増えてるはずです(増える数はそれ以上に増えてるわけですが)、先輩はもう少し統計的に考えるべきです。それに全人口に占める割合から言えば、昔の方がずっと病気で死んでますよ。平均年齢が全然違うことからそれは分かります。 揚げ足取りみたいに瑣末なことにこだわってしまいましたが、「人の命」(だけでなく、それが救われることによって悲しみが減少する)という面では確実に世界は進歩してますよね。 一方で思想や宗教の違いによる戦いはいまだ解決の糸口も見えておらず、そういう面ではまだまだ改善の余地があるとは思いますが、少なくとも解決に向けて努力する人がいる限り、良い方向に向かっているのだと私は思います。 ただこれは日本という安穏とした国に住んでる私達だから言えることで、北朝鮮やソマリアに住んでたら「悪くなってる」と感じるのかもしれません。 もっと別の見方をすれば、宇宙の片隅にある星の上で、人間という動物がどのような活動をしようが、宇宙全体の歴史やエネルギー規模で見ると、ほとんどたいした問題ではないということも言えるかと思います。 うーん。まとまりませんね。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに私の質問は、豊かな日本に住んでいるからこそ生まれるものなのだと思います。
- kurosio
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豊かな人がより豊かになって、貧困に苦しみ続けてる国の人がさらに苦しんでるのだと思います。 貧困の世界の人は、自分たちで発展できるでしょうか?無理ですよね。 豊かな人が豊かな人のために豊かになっていうことしてるんだと思います。 携帯もパソコンの新機種よりも、飢えに苦しんでる人がいっぱいいます、食べる事はやめれないですからね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 富めるものはさらに富み、 貧しいものはさらに貧しくなるという現状。 確かにそうですね。 結局世界は(富める者にとって)よりよくなっているにすぎないのでしょうか。
- tokudasinnnosuke
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世の中を、そして、未来をよりよくしようとしている人たちの世界は、確実によくなってきています。しかし、未来のことや、国際社会のことを考えずに、現世利益のみを追求し、エゴに生きるものたちの世界は、悪くなる一方です。 つまり、善は救われ、悪は滅びるということなのです。 人間が生きている意味は、この世を、神様の世界に近づけるということなのです。心を神様のほうに向け、イエスキリストさまや、天使様たちの言うことをよく聴き、正しく生きるものはよりよい世の中へ向かい幸せになります。心を悪魔のほうに向け堕落するものは、地獄に落ちる一方です。
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お礼
回答ありがとうございます。 「知識を幾ら学んでも人類世界は総合的に”良く”はならないと感じます。『じゃあなんで勉強するんだ?意味ないじゃん』といわれたら答えられませんけど」 非常に本質的な指摘だと思います。 つまるところ私が感じている問題意識とは、このようなものだと思います。 すなわち、 「人類の歴史なんて進歩していない」 「科学は結局のところ地球を救えない」 いずれもいっぺんの真理を含んでいるものだと思います。 しかし、現実にそのような諦念が何を生み出すのでしょう。 「悟り」だとか「人生観」といった個人的な処世訓程度にしかならない気がします。 それでも世界を動かすのは 「よりよくあろうとする意思」であると私は強く感じます。 ポストモダンが近代を否定したところで、 世界をなんら変えることはできなかったように、 そのような「諦念」が世界を動かすことは決してないのではないでしょうか。