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世界はよりよくなっているのか?
先日、大学の先輩と議論になって、 どうしても腑に落ちないことがあります。 私は、「歴史的にみて世界は発展している」と思うのですが、 先輩はマルクス史観批判や構造主義の議論を持ち出し、 「人間なんてたいして進歩していない」と主張しました。 私のたてたロジックは、 私にとって、身近な人間の死は不幸である ↓ 身近な人間が、病気、事故、災害などにあい、その命を救う手立てがない社会は、私は嫌である。 ↓ 身近な人間が病気、事故、災害その他で急死することは、時代とともに激減した。 ↓ まだまだ克服できない病気その他はたくさんあるが、命を救う技術は確実に進歩してきた。 ↓ ゆえに、世界は人間にとってよりよくなっている 簡単にいうとこんなところです。 先輩の反論は、 「一つの価値感だけでその発展の度合いを時間軸で追っていくことは無意味」 「そもそも死んでいく人間の数は、歴史的に見て昔もいまもそれほど変わっていない。むしろ戦争や紛争、飢餓などで、その母数は増えている」 というものです。 確かに彼のいうことも理解できるのですが、 人類の歴史が発展を前提にしないならば、 人間が今生きて社会生活を営んでいることに、 どれほどの意味があるのだ、 なぜ子供を生むのだ、 と思ってしまいます。 皆さんはどのようにお考えでしょうか。
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noname#13147
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お礼
回答ありがとうございます。 「知識を幾ら学んでも人類世界は総合的に”良く”はならないと感じます。『じゃあなんで勉強するんだ?意味ないじゃん』といわれたら答えられませんけど」 非常に本質的な指摘だと思います。 つまるところ私が感じている問題意識とは、このようなものだと思います。 すなわち、 「人類の歴史なんて進歩していない」 「科学は結局のところ地球を救えない」 いずれもいっぺんの真理を含んでいるものだと思います。 しかし、現実にそのような諦念が何を生み出すのでしょう。 「悟り」だとか「人生観」といった個人的な処世訓程度にしかならない気がします。 それでも世界を動かすのは 「よりよくあろうとする意思」であると私は強く感じます。 ポストモダンが近代を否定したところで、 世界をなんら変えることはできなかったように、 そのような「諦念」が世界を動かすことは決してないのではないでしょうか。