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なぜ、世界の流れは封建制から民主主義(社会主義)なのか
唯物史観、社会主義史観は、人間の楽観的な捉え方によって失敗したのかどうか定かではありませんが、かならずしも万能な理論ではないと思います。 それを根拠としてもしなくてもいいのですが、なぜ、世界史の流れは、封建主義から、国民が総体的に政治参加するという民主主義の形態に移行しようとするのでしょうか?なぜ、もどってみようという地域国家はないのでしょうか? やはり、民主主義は、封建制独占政治よりは「ましである」ということがいえるからでしょうか? なにか、民主主義ということが金科玉条のような扱われ方をするのが腑に落ちない気がします。
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お礼
非常に参考になりました。 為政者というものが、古代から私欲のためではなく、世の中の構造をどう支えるかの政治学?的思考を持って支配を行っていたということは驚きですね。 歴史的な推移から民主主義の勃興を論じていただき、大変納得しました。 古代から中世の暗黒時代にも、エネルギー生産性が絡んでいたとは!つまりは結局のところ、物質的エネルギー消費形態というところから、人間の歴史政治は動いているということらしいですね。もしかすると、地球温暖化が大規模に起こっていたら、木材は枯渇せず、中世はなかったも知れない? それにしても驚くのは、農業従事者を高い身分に置いたのは、すなわち、それが社会の基本であり生産だからである。商工業は結局消費なのであるという、人間の危機管理政策だったのですね。為政者というのはすごいものです。 結局民主主義への流れも、石油石炭の動力が日常的になったという産業革命ですね。これにより、王制というものは時代遅れ、機能しないものとなった。しかし、悲劇的な農業から工業への人的移動が起こり、歴史はかつてない搾取と過酷な労働を強制されるという人間にとっての不幸な歴史を経験しました。それが終わり、そして、社会主義の実験も終わった今、いったい何が残ったんでしょうね。なにか空虚なマネーゲームの世界だけが跋扈している気がしてなりません。