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ことの真偽について
「真か偽か」という判断をしますか? する場合、何を根拠として「真」/「偽」としますか? また、「私」が実在することの真理性の論証は果たして本当に可能なのでしょうか? 私には、どうしてもできないのです。
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- mmky
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ゴーストストリーという映画をやっていました。私はここにいると本人が認識してもゴーストですから他の人には見えないですね。他の人から見れば存在していないということですね。ここで2通りの観点があることがわかりますね。 1.他への影響の有無を問わな場合、自身の存在の有無は本人で出来る。 2.他への影響の有無を問う場合、自身の存在の有無は本人には出来ない。 質問は、2の場合についてでしょうか。そうであれば第三者からの目でなければ存在の有無、あるいは真偽はわかりませんね。つまり、自身でもない、他人でもない(他人にはなれませんから)という第三者の目を持つことが真偽を正しく捕らえる方法ですね。これを悟りの目(真眼)というのですね。真眼は心のなかを深く掘り進めば出てきます。
- hana_Z
- ベストアンサー率17% (28/157)
あなたは物事を白か黒でしか判断できないのでしょうか。 >「真か偽かのどちらかに決めることはできない」 ということがhana_Z さんにとっての「真」なのではないでしょうか。 決めることができないのではなく、どちらも相並び立つのです。立場やタイミングによって。 具体的に説明しないと納得していただけないようなので言いますが、 自分自身、真と決めることもあるし、時として同じことでも偽と決めることもあります。 絶対なんてものはありえません。 ましてや、簡単に真偽だけで判断する考え方や、真理を解ろうとする考え方はどうかと思います。 何故、真偽を定義したくて、真理を知りたがっているのでしょうか。
お礼
再度のレスポンスありがとうございます。 >あなたは物事を白か黒でしか判断できないのでしょうか。 そう確定しているのではありません。 ただ、もしここでニュートラルな立場をとるならば、 明白な命題さえも疑わざるを得なくなってしまうと思うのです。 その問題はどう解決するのでしょうか。 揚げ足を取っているように感じられるかもしれませんが、 一つ一つのことがらを確認していくためのものなのです。 もしもhana_Zさんがお暇でしたら、納得のいく回答をくださると嬉しいです。 >何故、真偽を定義したくて、真理を知りたがっているのでしょうか。 申し訳ありませんが、論証に客観性に欠けてしまう恐れがあるので ここでお答えする必要ないと考えます。
- hana_Z
- ベストアンサー率17% (28/157)
真と偽とは、相反するものですが、このふたつは切っても切れないものだと思います。 偽ということは、他面では真になるからです。逆も然り。 よって、真と偽なんて決めることはできないと思います。 ましてや真理などというものは、多くの人間が長い間考え続けてきても未だ解らない世界を、我々現世の人間が論証することなんて、不可能だと思います。 物事は多面的に成り立っています。 真か偽のどちらかなんてことはありません。
お礼
アドバイスありがとうございます。 しかしそうすると、「真か偽かのどちらかに決めることはできない」 ということがhana_Z さんにとっての「真」なのではないでしょうか。 確かに、本来現世の人間が論じられる次元のものではないかもしれません。 ですが、私としては真理が存在すると信じたいです。 ただ、その方法が見つからないのです。
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お礼
mmkyさん、お礼が大変遅くなりました。 アドバイスありがとうございます。 mmkyさんがおっしゃる1番の内容は、自得の範囲ということでしょうか。 感覚を信じることを前提とした場合、確かに判断可能ですね。 「真眼」についてですが、第三者としての目を持たなければ 確かに自己存在の真偽のほどはわかりませんよね。 このことから、神の存在は科学的見地により必要だったのだと感じずにはいられません。