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仮言命法は・・・
定言命法=カントという図式が私の頭の中にはぼんやりとあるのですが、仮言命法はどのような方達が主張したのでしょうか? 自分の中では、仮言命法=功利主義者と言う風に思っていたのですが、これは正しいのでしょうか?
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倫理学というのは、「~はよい/悪い」「~はしてもよい/してはいけない」「~はすべきだ/すべきでない」という規範を立てるときに、その根拠は「いったいなにか」ということを考える学問です。 したがって、古代ギリシャの時代からありましたし、特にアリストテレスは、その「ニコマコス倫理学」のなかで、考え方の筋道をうち立てました。規範は命題の形をとって現れること、そして、その正しさは三段論法によって証明されること、という基本的な考え方は、このときに成立したんです。 「定言命法」「仮言命法」という論理学のタームが使われているのも、そのような背景があります。 で、カントが登場する間を2000年ほどスキップしますが、それ以前にも、もちろんさまざまな流れがあります。#1のかたが名前をあげていらっしゃるホッブズやルソーの、社会と個人のありかたに対する考察も、もちろんカントの思想の背景にはあります。 定言命法と仮言命法を対置させたのは、そうしたなか現れたカントです。以降倫理学は、このカントの定義を踏まえるようになっていきます。 カントは、人間の理性こそが道徳を根拠づける、としました。そうして、この理性による命令には二種類ある。それが「幸福になるためには~すべし」という、ある目的を達成するための手段としての行為を命じる仮言命法と、「汝 なすべし」という形で、行為の結果を考慮に入れず、絶対的にその道徳律を受け入れ、道徳律そのものを目的としてその実現を命じる定言命法です。 倫理学において、カントのような立場を、一般的に「義務論」とよび、後者の立場を「目的論」と呼びます。目的論は必ずしも功利主義と同じではないのですが、目的論の中心というか、倫理学的な論争となった場合は、「義務論」対「功利主義」という形をとることがほとんどです。 ですから >自分の中では、仮言命法=功利主義者と言う風に思っていたのですが、これは正しいのでしょうか? というのは、質問者さんがだれで、どういう立場のかたかによって、多少その答えはちがってくるのですが(笑)、だいたい大丈夫だと思います。 さて、功利主義というと、やはりその祖、ベンタム、ジョン・スチュワート・ミルですが、こうした古典的功利主義者が「利益・幸福」の規準として「快/苦」をあげ、こうした「快/苦」は客観的にとらえられる、としたのに対し、ひとびとが利益・幸福と考えるのは、そうしたものなのだろうか、と時代を経るにつれて、この規準は疑問視されるようになってきます。 たとえば「精神的快楽」をどのように位置付けたらよいのか。 そこで替わって出てきたのが「interest(普通、利害と訳されます)」、もしくは「pregerence(選好)」という規準です。 現代の功利主義は、古典的功利主義と対比させるために「選好功利主義」と呼ばれ、代表的な哲学者にリチャード・マーヴィン・ヘアや、ピーター・シンガーらがいます。 現在の功利主義的な倫理学が、現実の問題をどのように考えているか、 ジェームズ レイチェルズ『現実をみつめる道徳哲学―安楽死からフェミニズムまで』 (晃洋書房) を参考文献としてあげておきます。 わかりにくい部分があれば、補足要求なさってください。
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- ghostbuster
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#2です。 長くなったので、途中を削除しながら回答したら、一部意味不明になっていました。 お詫びして訂正します。 第五パラグラフのあと。 カントは道徳確率は、定言命法として与えられなければならない、とし、仮言命法を退けました。 たぶん、この文章を入れると、第六パラグラフにすんなり続いていくと思います。 どうもすいません。 わかりにくいところがあれば、どうぞご指摘ください。
私もぼんやりとですがホップズの自然法が仮言命法として批判されていたような記憶があります。 ご参考までに。
お礼
有難うございました。 資料本を読んでみても、曖昧なことしか書いてなく、困っていましたが、解決しました。
お礼
丁寧に補足まで有難うございました。 授業で習ったものの、イマイチ理解できていなかった「選好功利主義」と古典派もおかげ様ですっきりと繋がりました。 本当に有難うございます。