天智・天武・額田王の三角関係を学会が否定する理由
(1)あかねさす 紫野行き標野(しめの)行き 野守は見ずや 君が袖振る(額田王)
天智七年(668)五月五日、天智天智は蒲生野で大海人皇子(のちの天武天皇)・中臣鎌足など群臣を率いて薬狩りを行いました。
そのときに額田王が詠んだ歌ですね。
この歌に大海人皇子が返歌をしています。
(2)紫の 匂へる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも(大海人皇子)
また、次のような歌があります。
(3)香具山は 畝傍(うねび)を愛(を)しと 耳成(みみなし)と 相争(あひあらそ)ひき
神代より かくなるらし 古(いにし)へも 然(しか)なれこそ 現人(うつせみ)も 褄(つま)を 争ふらしき (中大兄皇子)
(1)(2)の歌を受けて(3)の歌は、天智・天武・額田王の三角関係をうたったものだとする説があります。
ところが、学会では(1)(2)の歌はいずれも相聞歌(ラブソング)ではなく、雑歌に載せられていることなどから、宴会の席でのざれ歌、
(3)は単に神話の世界を詠んだ歌だとしています。
でも、表だって相聞歌だと言うことができないから、雑歌に載せられているんじゃないか、と思ったりします。
また、ただ雑歌に載せられているから三角関係ではなかった、というだけの理由ではあまりに考証が雑です。
まさか、それだけの理由ではないだろうと思います。
学会天智・天武・額田王が三角関係にあったとする説を否定する詳しい理由をしりたいです。
よろしくお願いします。