- ベストアンサー
戦艦大和の再評価
戦艦大和といえば”世界の三大バカ”あるいは無駄なものの象徴のように言われています。 しかし大和そのものはたしかに大した結果を残していませんが、その後の科学技術、工学、造船技術の基礎や応用に影響していることを考えるとあまりにも評価が低いような気がします。 日本の技術と誇りを再認識するために再評価は必要と考えますがいかがでしょうか。
- みんなの回答 (15)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
大和、武蔵の建造については幾つかの本で、今でもその設計造船技術、職人の技などを知ることが出来ます。 全てが初めてといえる至難の経験をつんで作られたわけですが、個人的には、それを、わざわざ平らな甲板にして空母として完成された信濃の建造について知りたいと熱望しています。本来戦艦として主砲や大きな艦橋を前提として作られたものを、どうやって船のバランスを保って作れたのかだけでも考えると、すごいことだと思います。 いずれにしても、質問者様のおっしゃる通り、誰でも知っているわけではありませんし、日本の誇りといえると思いますし、大和ミュージアムが完成したことでもありますし、広く知ってもらうという意味での再評価は必要ではないかと思います。
その他の回答 (14)
時代に合わないものはいかに優れていても評価は低くなりますし、第三者的には馬鹿呼ばわりされます。 例えば、ポラロイド社が以前、インスタント8mmフィルムを巨額の研究費を投じて完成させましたが、世の中ホームビデオの時代に突入した直後なので、全く需要は無く、その後の経営に暗い影を投げかけました。 これとは別に製品としては消えてしまったが、高い評価を受けて技術が転用されたものがベータビデオ。 家庭用としては販売戦略のミスで消えてしまいましたが、プロ用機材としては高い評価を受け、生き延びました。 つまり大和も、船としては非常に高い評価を受けましたが、戦艦としてはニーズが無く、用途としては評価が低いと言えます。 戦後、隔壁とか船首部分の形状などが商船の設計に生かされたのは、船としては優れていたことの証かと思います。 ただ現在戦艦が全く無用の長物かと言えば反対意見もあり、艦砲射撃による威圧感は捨てがたいので、アメリカもアイオワ型を湾岸戦争まで使っていますから、大和も生き残っていれば近代戦でも使い道はあるかも知れません。
お礼
回答ありがとうございます。 たかが大和ですがされど大和なんです。その後の世界への影響を考えても単なる無用の長物とは思えないのです。
- ss79
- ベストアンサー率33% (258/765)
確かに戦艦大和は当時の建艦技術の粋であったと思いますが、何分にも時代遅れとなってしまったのは日本の戦争工学が総合的に不足していてためです。 戦艦のような大艦は建造に数年単位の長年月を必要とし、その間の技術的進歩は取り入れる事は難しいものです。 それに時代は空母時代に移行し巨大戦艦の時代は終わりました。 日本の造船技術は商船、タンカーに引き継がれています。 今更過去の再評価は歴史的郷愁でしかないと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 今更過去の再評価は歴史的郷愁でしかないと思います。 そうでしょうか歴史の再評価によって国民に勇気と誇りを取り戻した例がありますそれだけでもいいことではないですか。
- tokimune
- ベストアンサー率27% (187/690)
日本の大本営は当時世界の海軍力が大艦巨砲主義から 空母を中心の機動部隊による戦いに変わっているのに 巨艦を作りつずけたことを、後に「世界の三大バカ」と揶揄したのですが、NO1の方がおっしゃっている ように、造船技術とは別の話です、 現在の日本が誇る大型タンカーは当然この技術が受け継がれたものです、世界的にも軍事技術を民間が利用したものは、数限りなくあります、残念ながら戦争が 科学技術を進歩させることは明白ですが、 それを再評価するか、しないかは、また別の次元の微妙な問題です。
お礼
回答ありがとうございます。 >それを再評価するか、しないかは、また別の次元の微妙な問題です。 それは世界に対する遠慮ということでしょうか自国の歴史や技術の再評価に他国の顔色をみる必要は無いと思います。
- gyounosuke
- ベストアンサー率20% (1446/7021)
”世界の三大バカ”とは、大和を作った技術に対するものではなく、「政策」といったもにに対する言葉であって、技術面では元々評価が低いということはないと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 それは知っている方ならば判ることですが知らない多くのヒトから見れば”バカあるいは無駄”と言う言葉の方がインパクトがあり過ぎて正確なことなんか伝わらないと思います。
- 1
- 2
お礼
回答ありがとうございます。 日本人をよくオリジナリティーがないと言われていま した。しかし今も当時もまったく初めてのものを生み出すのは困難な作業なんです。それをやったことが誇りであり自信なんです。 今の世の中日本人に誇りも希望もない時代ですから少しでも日本人は捨てた物ではないことの例としてこの大和を再評価してもいいのではないかなとこの質問を考えたのです。