- ベストアンサー
侍の与力について
侍の戦時軍団・備えの中で与力って言う侍がいますが~頭とか~奉行とか名乗ってないけど独立小部隊長なんですよね。なぜ~頭とか~奉行とかと称せずにただ与力と称して部隊長となってるのですか?まあ藩の名づけ方にもよるでしょうけど。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
与力と寄騎とは違います。 戦国時代、全軍の部隊長というべき大名の軍勢に増援の為に付けられた大名や部隊長を寄騎といいました。 大きな部隊を作るためで総大将の指揮下に入ります。 部下の兵は直属の部隊長の指揮をうけて戦闘に入ります。 従って大名であればかなりの兵力を率いて参加することになります。 寄騎は臣下ではなく、応援部隊長のようなものですから君主の命令で他の寄騎となったりします。 羽柴秀吉の場合黒田幸高や竹中半兵衛が寄騎につけられました。 江戸幕府時代の与力は役職名で部下に同心十名ほどを統括する中間管理職で町奉行の部下です。
その他の回答 (2)
- d-y
- ベストアンサー率46% (1528/3312)
回答No.3
「与力」というのは、「助力すること(人)・加勢すること(人)」という意味の一般名詞です。 役職名として使う場合は、「○○(組織や人)の与力=○○に助力する人」の意味で使われていると思います。
質問者
お礼
加勢部隊ですね、ありがとうございます。
- 6dou_rinne
- ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1
江戸幕府の与力は部隊長ではありません。 質問者のいわれているのは戦国大名の与力(寄騎)のことかと思いますが、これらは上位の部隊長の家臣ではないがその指揮下につくようにされている武士のことですね。この場合何人かの家臣を持つ部隊長というばあいもあります。 織田家の北陸方面において前田利家が柴田勝家の与力だったように。
質問者
お礼
前田、柴田ですね、ありがとうございました。
お礼
黒田、竹中、ありがとうございます。