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食事について
一日三食になったのは、日本ではいつごろからでしょうか。 また、世界的には、特に西欧などでは、どうなのでしょうか。
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西欧では古代ギリシャでは一日三食のようですが、ローマ時代昼夜の二食に変わったようです。 これは食材の種類が豊富になり余裕も増えてきて食事にも時間をかけるようになってきた為と思われます。 ポンペイの壁画にも大皿にご馳走を盛り寝台に寝そべって食事を楽しむ所が描かれていますが、当時美食の後満腹すると鳥の羽で喉を刺激して吐き、また食事を続けたといいます。 もちろんこれは上流社会の話で労働階級はなんらかの手段で食事を補わなければ身が持たなかったでしょう。 中世になると禁欲的なキリスト教の影響で二食が定着したようです。 この時代人口増加と食糧不足の影響もあったようです。 15~16世紀にいたり三食に移行しました。
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- ss79
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無住禅師の「沙石集」には昔、寺では一日一食であつたが僧達も難儀し自炊して凌いだそうです。 戦国期は労働も激しく戦闘にも差し支えるので随時食事したようで北条氏康の言葉として一日二食という言葉が「武者物語」に書かれ、「武功雑記」には朝暮二合五勺づつを定めと記されて大体一日二食が定着していたようです。 江戸時代に入り経済状態も良くなり、特に照明が普及して日没後まで仕事が出来るようになって夜更かしが一般化して二食では不足して来た為、次第に間食から三食に移行したようです。 しかし西鶴の「好色一代男」には二食の記述もあり、全体に習慣化はしていなかったとも言えそうです。 牢屋と吉原とは二食であったと言います。 食事時も定まったものでなく随時というむらのあるものだったようです。 赤穂浪士をあずかった毛利家の「赤穂浪人御預記」には 朝夕ニ汁五菜、昼茶菓子一度、夜食一汁三菜と記述されておりかなり優遇されていたようです。 大体三度の食事が定着したのは寛政の頃と見られているようです。
- TANAKA1942b
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江戸時代初期から 『ビジュアル・ワイド 江戸時代館』小学館2002.12で大石学は「生産の伸びとともに庶民の生活も豊かに」と題して、つぎのように書いています。 「(江戸時代になって)菜種油やろうそくによる灯火の広がりとともに1日2食から3食へと増えた。武士や公家は米を主食としたが、民衆の多くは雑穀を用いた。魚の煮物や野菜など1,2菜のおがずも定型化した。おかずは味噌、醤油、砂糖などで味をつけた。南蛮料理から生まれた天麩羅や、中国料理から伝わった卓袱なども普及した」 大石慎三郎著『江戸時代』中公新書1977.8 にはつぎのようにある。「われわれ庶民大衆が家族をなし親子ともども生活するようになったのはこの時期以降、具体的には江戸時代初期からのことである」と。 柳田国男著『木綿以前の事』岩波書店 1979. 2 や永原慶二著『新・木綿以前のこと』中公新書 1990. 3 によると、「江戸時代になって木綿が普及し、庶民の生活が大きく豊かになった」とあります。 このように食事を含め、江戸時代は庶民の生活革命の時期であったと考えられます。
- 6dou_rinne
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武士層では徳川吉宗の時代には3食になっていたようですが、吉宗は2食であったとか。