- 締切済み
西欧文明
よく「日本の常識は世界の非常識」と言われますが 世界=西欧(欧米)ですよね。 そこで思うのですが、なぜそのような構図になったんでしょうか? それほど世界史も詳しくないですが、そもそも大航海時代に アジア・アフリカ・アメリカ大陸へ進出していった経緯が あると思います。 では、なぜ西欧が他より優れてそのような事ができたのか? それ以前はそれほど他と差がないように思えるのですが。 どなかた詳しい方、教えて下さい。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
みんなの回答
- tyr134
- ベストアンサー率51% (851/1656)
>大航海時代にアジア・アフリカ・アメリカ大陸へ進出していった経緯があると思います。 この経緯ですが、他の地域では大洋へ出て行く必要が無かったのに対して、西洋ではその必要があったのです。 当時のヨーロッパ諸国は、オスマン帝国に圧迫されていました。 アジアからの交易品は、オスマン帝国を経由して、東地中海を支配していたヴェネチア共和国を始めとしたイタリアの海洋国家に支配されていました。 当然、オスマン帝国を経由するのですから価格は値上がりします。 また、オスマン帝国はイスラム教国でありキリスト教諸国であるヨーロッパとは対立関係にありました。 争いが起れば、当然価格に跳ね返ってきます。 (商品はスパイスが良く取り上げられますが、それよりも奴隷の方が重要でした。キリスト教国はキリスト教徒を奴隷にする事は出来ませんので) そんな中で、オスマン帝国からは交易品のみならず、古代ギリシア・ローマの思想やイスラム教の思想も入ってきました。 これが、ルネサンスの気運を高めました。 このルネサンスによって、中世キリスト教的世界観からの脱却が始まります。 そして、世界の正しい姿を追い求めようという気運も高まります。 この気運が、ヴァスコダ・ガマやコロンブスなどの航海士と、それを支援するパトロンと呼ばれる人々を生み出しました。 これにより、大冒険時代または大航海時代が幕開けました。 その後は、経済の拡大・啓蒙思想の出現・産業革命(科学革命)などが連鎖的に起っていきます。 それに反して、オスマン世界にしろ中国にしろアメリカ大陸にしろ(もちろん日本も)では、内に籠もったままでした。 これは、西洋のように必要性がなかった(またルネサンスも起らなかった)ので、仕方ないことかもしれません。
お礼
tyr134さん、分かり易い回答、ありがとうございます。 そうですね。必要がなければ現状を維持するのが人間でしょうし。 ずっと、西欧と他の地域は何が違うのかと思っていたのですが 解決しました。 ありがとうございます。