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なぜ豚は疎んじられるのでしょうか?
動物の豚についてなんですが、よく悪口や悪いイメージに使われますよね?例えば太っている人への攻撃やあるカリスマ歌手などは>死んでも豚には食い付くなとか歌っていました。またある宗教は不浄の物とされています。豚はかなり人類に貢献しているはずなのになぜこれほどまでに嫌われ、疎んじられるのでしょうか?そこに至るまでの歴史的背景があるのでしょうか?教えて下さい。
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一つの理由として、豚は何でも食べるから、悪食、意地汚いっていうイメージと結びつきやすいのだと思います。このイメージが宗教的、文学的に増幅されたのでしょうか。 歴史的背景としては、イスラム世界においては、当時、砂漠の中では豚肉を十分に調理するだけの燃料を用意することが難しく、そのために、多くの人が豚肉をナマの状態で食べ、豚の寄生虫に冒されたためではないかという説もあります。 http://www.aii-t.org/japanese/islam_kenkyu/23.htm ということは、人間の衛生管理が未発達であった時代から既に主要な食肉であったために、逆に不潔な印象が浸透してしまったのかも知れませんね。 行商のユダヤ人豚商人も、多くの農耕民から、借金の担保として塩漬けハムを手に入れ、それを売りさばいて大きな利益を得たそうです。こうして、キリスト教社会では動物の売買や金銭の取り引きはユダヤ人にゆだねられ、「高利貸のユダヤ人」のイメージが定着したとか。「豚=貪欲」イメージの定着でしょうか。 http://www.crn.or.jp/LIBRARY/BOOK/0105_2.HTM (『豚の文化誌―ユダヤ人とキリスト教徒』) 日欧の対照イメージを網羅した辞書に、「豚は不潔な場所を好むという印象から汚物や不潔を表わす。怠惰で愚かで大食であるとされ、不純な欲望の象徴と考えられている。利己主義や忘恩をも表わす。」とあるのは、上記と関係があるのかもしれません。 日本においては、仏教によって肉食が禁じられたため、豚にはなじみがなかった、とする説もありますが、もともと、エジプトやインド、インドネシアなどには豚の神様(もしくは猪の神様)がいたようです。中国でも、常にブタが最も重要な家畜として位置を占めていたため、家庭にとって何とも縁起の良い動物としてブタは愛されていて、お正月には、百の福を呼ぶとして、太ったブタが門を押し入った来る絵、ブタが宝箱を背負っている絵を壁に貼ったりもします。香港でも豚に対して日本のようなマイナスイメージはありません。十二支、日本では猪ですが、香港ではこれが猪(ブタ)です。また、豚はお金儲けの縁起物になっています。 http://www.saiboku.co.jp/museum/goods/theory/theory_of_collector2.html 中国のコミカルな豚といえば、猪八戒です。西遊記の最後で八戒は、一人だけ浄壇使者という、仏ではない役目をおおせつけられました。愛嬌がある裏返しで、いじめられやすい動物だったということもあるんでしょうね。猪八戒に関する本では、マニアックな中国文学者、中野美代子の弟子、武田雅哉「猪八戒の大冒険」がお薦めです。(ただし、絶版、再版未定だそうですが) http://www.ne.jp/asahi/kagiya/tsumugidou/saibourou/kagiya's-saiyuuki/k's-saiyuuki-study.htm また、下記のようなサイトも充実していますので、ご参考ください。 人間がブタになる「千尋」の設定は、世界で受け入れられるだろうか? http://www.asahi-net.or.jp/~hn7y-mur/chihiro/chihirolink07.htm 津田謙二「トン考-ヒトとブタをめぐる愛増の文化史-」 http://www.asahi-net.or.jp/~ne4k-tgc/kanda/010511/0511.htm
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古代にはどの民族においても豚は豊穣のシンボルで大切にされ、農業神であったり、神々への供物として大切な食べ物でした。しかし、豚は食欲旺盛で何でも食べることから、貪欲の象徴ともされました。中国でもヨーロッパでも豚は農業民族にとって貴重な食料源であり、その伝統は今日まで続いています。 豚と民族・・大きなテーマでここでは扱い切れませんが、ユダヤ教では鱗のない魚類と共に豚は不浄とされ禁忌の食べ物になっています。ユダヤ教の影響の強いイスラム教でも豚は禁忌の食べ物です。インドでは仏陀の死因が豚とかキノコとかいわれることから、あまり好まれていないようです。世界の先住民族、あるいは古代世界(ギリシャ、ローマ、ケルト、エジプト)では豚は豊かさ、多産のシンボルであり、今日のイメージとは異なっています。 推測になりますが、農業民族は豚を愛し、遊牧民族、騎馬民族は嫌ったようです。 はっきりした理由は分かりませんが、環境汚染とも関係しているような気がします。古代にはあまり不潔なイメージがないのは人口が少なく、又自然と共生していた人々は環境をきれいに保つ意識がつよく、そこで飼われていた豚も清潔だったと思われます。人口が増え都市化したとき、居住環境は悪化し、豚の飼われる環境も悪化し、本来清潔好きな動物が人間によって不潔にされたのでしょう。 遊牧民族は常に農業民族と対立関係にあったため農業民族の食料のもとである豚を その飼い主とともに軽蔑したといわれます。又豚は歩くのが遅いため、移動生活を送る遊牧民族や騎馬民族の生活スタイルに馴染まなかったと考えられます。 このように時代と民族によって豚のイメージは大きく揺れています。時代を制した 民族の考え方、習俗が歴史に強く残るものの各地の民族固有の考え方も滅びることなくなんらかの形で残るため相反するようなイメージが共存するわけです。ユダヤ人が何故豚をたべなくなったか、断定する資料を持ち合わせていませんが、敢えて一言でいえば、衛生上の問題からだと思います。
お礼
>推測になりますが、農業民族は豚を愛し、遊牧民族、騎馬民族は嫌ったようです。 そういう意見があるのですか。それは大きいですよね。私がなぜこの質問をしたか、それは豚の写真を見ると悪いイメージではなく、むしろ可愛い印象をいつも持つからです。だからふんまみれになって横たわる豚の写真を見ると何かが違うと感じてしまいます。 >本来清潔好きな動物が人間によって不潔にされたのでしょう。 誰のための生き物なんでしょうね。
中国における豚のかいかたをお知らせしましょう。 豚は2階建ての小屋の1階部分で飼育されます。 2階は.せっちん.つまり.人の便所です。 豚は人の糞便を餌としていました。 中国文学における西遊記の特異性は.豚が主要メンバーの一人として現れていることです。
お礼
なるほど。それが果たして合理的なのか今はわからないですよね。衛生的ではないだろうし。 >中国文学における西遊記の特異性は.豚が主要メンバーの一人として現れていることです。 確かに。それは気になります。ありがとうございました。
豚は西洋では、「可愛いイルカ」や「親しい犬」とは違って丸ごと食用動物として扱ってきました。 今でもヨーロッパの田舎の方に行くと飼っている豚を釣るし切りにして、肉や腸などはソーセージやハムに骨はスープにとほとんど捨てるところがないくらい便利な食材として使われています。 ですから、ただ食われるためだけに存在している豚に対してそのような感情を持ったとしても不思議ではありません。
お礼
確かにそうかもしれませんね。ふだん(日本の)私達がよく食う魚に可哀想と思うかと言えばそう思わないしね。逆に気持ち悪いと思う人もいるし、死んだ魚の目と表現するし。飛躍しますが、昔の奴隷だってそれが当たり前になるとなんの感情もわかないだろうし。回答ありがとうございました。
お礼
あなたの回答すごく参考になりました。豚肉をナマで食べざるおえなかったという説、初めて聞きました。単なる疑問が関心に変わってきました。参考URLも見てきました。かなり面白かったです。 >人間がブタになる「千尋」の設定は、世界で受け入れられるだろうか? 先日映画を見たばかりで、興味深く拝見しました。脱線しますが、宮崎駿はアニメ監督というより、思想家、哲学者のような気がします。ありがとうございました。