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ディオニュソス的な肯定
こんばんは。 今、読んでいる本の中に「多くの困難を課する現実を直視しながら、そのただなかで、それにもかかわらず、ディオニュソス的な肯定を言う境涯に高まってこそ、運命愛は成立する」と言う文章があるのですが、この「ディオニュソス的な肯定」とは、どのような意味なのでしょうか? 宜しくお願い致します。
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「ディオニュソス的」という言葉はニーチェの言葉で、「アポロン的」という言葉の対概念です。 「アポロン的」とは西洋哲学の根本でる理性という概念を示すます。それに対して、「ディオニュソス的」とは理性とは反対の感情的な概念を示しています。 さらに「ディオニュソス的な肯定」とは以下のことを意味しています。ニーチェは、この世界が有限であるかぎり、あらゆる出来事、事象の発生には限りがある。よって、同じことがこれまで何度も繰り返されてきており、これかもそれは続くのだ、と考えていました。 これを永遠回帰といいますが、この永遠回帰は受け捉えようによっては、大変つらいものです。自分のこれまでの、そしてこれからの人生を、まったく同じ順序で、同じように感じるということを無限に繰り返さなくてはならないのですから。この絶望的な繰り返しを、それでも喜んで肯定することを「デュオニュソス的肯定」といいます。
その他の回答 (1)
激情的に陶酔したりすることを「よし」とすることを、「ディオニュソス的な肯定」といいます。 ようするに恋愛至上主義的な考え方のことですね。「愛は永遠を信じて自分にトリップ」っつーか(^_^; それにしても、相変わらず哲学本は文法的にアヤシい文章多いっすなぁ(笑)
お礼
ご回答ありがとうございます。 陶酔的に肯定することなのですね。 >それにしても、相変わらず哲学本は文法的にアヤシい文章多いっすなぁ(笑) 読むのに時間が掛かって参ります。丸一日掛けて10数ページしか読めないこともありましたw
お礼
ご回答ありがとうございます。 ディオニュソス的=感情的 アポロン的=理性的 なのですね。 「ディオニュソス的な肯定」には「感情的、陶酔的な肯定」と言う意味だけではなく、ニーチェによる深い意味もあるのですね。