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人の生産性の有無について
人に対して生産性があるかどうかという価値観で図ることや、自分自身に対して生産性を上げたいなどの意識を持つことにかなりの違和感と一種病的な何かを感じるのですが、自分の頭ではその違和感などをまとめきれない為、質問しました。 まず、そういった価値観を否定するつもりは全くありません。あくまでも私が個人的に感じることとして書いています。 生産性=なにかを生み出すこと。なにかしらの意味ある作業を効率的に行うこと。とすると、生産性があることは素晴らしい!と全肯定する意識が多くの人の中にあるように感じます。 私自身もそう思ってしまうことがあるのですが、そのたびに強烈な違和感を感じます。 なんというか、自分も含め多くの人々は人に対して使うには不自然な生産性と言う言葉で「何かを生み出すこと、生み出し続けることは素晴らしく全肯定されるべきことなんだよ。」と思い込まされてるような感覚があります。 もちろん、何かを生み出すことを人生の目的にしていたり、それが幸福な生き方な人もたくさんいるでしょうし、その感覚もすごく共感出来ます。 でも最近よく思うのです。 はて、人生とは?命とは?なんだったか?と。私は、人々は、なにか生み出すためにこの世界に来たのだったか?と。 まとまりのない文章になってしまいましたが、生産性や私が感じている違和感について思うことがありましたらぜひ教えて頂きたいです。よろしくお願い致します。
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- hiro822
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数値化やモデル化は実際の物事をすこし変えて認識しやすくするものだと思うのですが、目に見える効果を実軸、見えにくい効果を虚軸の成分として見るのが認識しやすいと思っています。 虚軸の成分が大きいものは認識しにくいですが影響が大きいものもあると思います。 特に位相や時間と相性がよい感じがします。なにかと組み合わせて効果が出るものが多いのかもしれません。
- yaasan
- ベストアンサー率22% (2731/12290)
おそらくはその「生み出す」という行為がものすごく小さな範囲でまとまっているからではないかと思います。 人間に限らず、動物植物も合わせて生きているものの生産性は生きるための行動をする、ということ全てで、その中で人間が作ったルールを逸脱しなければ、問題がないと定義することが大事なのだと思います。お金を稼ぐことと言ってしまうと赤ちゃんも含め、稼げない人に価値がなくなります。そういう狭い範囲で定義してしまった上で、多くの例外を抱えているので、違和感を感じているのではないでしょうか。 家で鼻をほじるのも屁をこくのも生産性のある行為だと思います。家事をすることも、働くことも、勉強することも誰かの手伝いをすることも、全て生産性のある行為だと思います。だから、人は誰からも殺される理由はなく、自然に生きていけるのですよ。
- nagaineko
- ベストアンサー率28% (563/1990)
生産性、って、要は平たく言えば労働のことだと思うんです。 現代社会で言えば、生きていくには、働いてお金を稼ぐ必要があります。 そういう意味では、生産性がある、ということは非常に大切な ことだと思います。 しかし、今の社会では、そのことにフォーカスされすぎてるっていうか、要は、お金、お金、言いすぎると思いますね。 お金を稼ぐことは大切なことですが、そちらに偏りすぎるのも また違うような気がします。 私の場合ですが、お金を稼ぐのは、生きていくための手段であり、 目的ではありません。ですから、必要以上に稼ぐ必要はない、と 考えています。もちろん、働けば働くほど、お金は儲かります。 しかし、それでは、人生が生産性の向上の追及で終わってしまいます。 死ぬほど働いて、ストレスをためて、病気で死んでいく人を 見てると、人生ってそういうことなのかなー?と 思ってしまいます。 要はバランスだと思います。 生きていくために、必要最低限の生産性は必要です。 しかし、時間は有限です。 過剰な生産性は、本当に必要なのか、自分の頭で考えるべきだと 思います。 とはいえ、人間はお金が好きだし、お金って数字で出ますから わかりやすいし、評価しやすいんですよね。 人生とか、命とか、っていっても、ほんとは重要なことなんですけど、ふんわりしてて良くわからないし、目でも見えませんからね。 どうしてもわかりやすい方にひっぱられてしまうんでしょうね。
- Don-Ryu
- ベストアンサー率24% (256/1052)
一時、「生産性がないヤツは死んでしまえ」みたいな風潮がありましたよね。 根源的な処に戻ると、人間や動物関係なく生き物が生きる目的は、「種を残すこと」です。ただ種を残してどうするの?と聞かれたら、その先はわかりません。 じゃ、子種さえ残せば後は何でもいいのか?と言うと、そうではなくて、まず子種を残す前提として本人が生き続ける、そのための糧を得る方法として、働いて給料をもらう、 人が人の何に対して給料を与えるのかというと、「その人が何かを提供するから」です。それがモノづくりだったりサービスだったり色々あるんでしょうけど、とにかく働いて何かを提供するから、会社はその見返りに給料をくれる、 人が作り出すモノなりサービスなりには、どうしても良い悪いがある。競争になる。その中で生き残らねばならない、生き残るためには、「より効果の高いものを、より無駄なく効率的に作ってていきょうする」になります。 つまりはそれが「生産性が高い、低い」になる。 人間が数千年の時間をかけて複雑な社会を作ってしまった、それで時々迷ってしまいます。だけど、突き詰めれば、 「より狩りに出てより大きな獲物を取ったものが強く安定して生き残る」 「より大きな木の実を一杯取った方が安定して生き残る」 「生き残って子種を残せる」 それと本質は変わらない、と思います。 会社に行って仕事をするのは、狩りに出るのと同じ。 しんどくても、腹が減ってても、狩りに出て獲物を追いかけて捕まえなくては、死んでしまうのが当たり前ですよね。獲物を追う動物は、皆腹ペコなんです。