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宿命論
宇宙中のすべての状況がある瞬間に決定されたなら、その後の宇宙の変化、事件はすべて計算により予言できる。我々人間も、物質としては原子分子でできており、感情や意志もこれらの物質や電磁気カに支配されているならば(唯物論が正しいかはいまだ不明であるが)我々も、これらの方程式の解として動かなければならなくなり、我々の感情や生活についても予言できるはずである。我々は、幸か不幸かすべての物体の運動を知ることができないし、計算も実際にはコンピューターの能力不足で不可能である。しかしそれはただ我々が無知であり技術力が足らないからだけのことであり、我々や宇宙の運命はすでに宇宙の始め、初期条件が与えられた(神により?)時に快定されているのである。だから我々がそれを知らないだけのことである。もう我々は誰もこの運命から逃れることはできない。我々は方程式の解にそってただ生きていくしかないのである。これは機械的な決定論であり言い換えれば宿命論である。 この決定論に従えば、時間は神の手にあるシナリオに打たれているページ数にすぎない。すべての物体は人も星もいっせいに、このシナリオに忠実に時間どうり役を演じるしかないのである。 ととある人が書いているのですが、これに対してのみなさまの意見が知りたいです。 暇なときにでも書き込んでください。
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- ssmarugoo
- ベストアンサー率47% (84/176)
宿命論はあると思います。しかし、それはその瞬間での今後のシナリオであり、次の瞬間ではまた次の宿命論のシナリオがあると私は考えます。そしてこの2つの宿命には関連性は全くないと思います。 今後を知ることは、計算でできても、連続的ではないと考えることで結局は役に立ちません。 神?のシナリオにはしたがっているのですが、それでもなお、運命を知ることができません。
- tocoche
- ベストアンサー率36% (65/180)
> ととある人が書いているのですが、これに対してのみなさまの意見が知りたいです。 これが質問ですよね? それに対し、 > ちなみに私なぜか確率論を信頼できません。ただ我々の知識が足りないのもだと思っています。不確定性原理もおかしいと思ってしまいます。 > ただ運命は計算で求められるとおもっているのですが。 > 不確定性原理や粒子の問題についても我々の知識では追いつかない法則がまだあるのではと思ってしまいます。 というのは、質問者さんご自身の意見ですよね? 回答者のみなさんは質問に対し真面目に回答しているのに、これでは闘牛士の振る布(質問)に突進して、闘牛士(質問者)に剣で刺されているのと同じです。 このやりかたは圧倒的に力量差がある相手に負けない(説得されない)ようにするディベート術ではありますが、質問に書かれた文章と自分の意見の関係を明確にしておかないと、自分の疑問に対する回答は得られないでしょう。 むしろこの質問の書き方では「質問者さんは質問に掲げた文章に対し、うさんくさいと思っているのではないか」と解釈する人のほうが多いと思います。 私なりの意見ですが、計算で「来年の今日、あなたの乗った飛行機が墜落し、あなたは命を落とす」と出たとき、自分はどう行動するか計算してみましょう。 ・これを宿命と受け入れ飛行機に乗る。 ・死ぬのはイヤだから飛行機には乗らない。 乗らなかった場合、計算は外れですが ・乗らなかったのは計算を信じてのことだから、計算は正しい。 ・乗らなかったこと自体も、実は計算していて「あなたは命を落とす」といったのは、その計算のためのウソ。 と、いろんな答えや解釈が出てきてしまう。 答えが複数ある時点で宿命論は破綻するので、宿命的な答えには到達しないと思います。
- zuyun
- ベストアンサー率53% (16/30)
・不確定性原理について 私は不確定性原理(本質的に確率的である)が正しいと思っています。しかし、不確定性原理を前提としても、「全可能性(パラレルワールドの集合)の中での "確率分布" が決定している」とも言え、運命論の本質から完全に自由になる訳ではありません。従って、こういう議論に不確定性原理を持ち出すのは論点を不明確にするだけだと思いますので、以下では古典的機械的決定論を前提に議論します。 ・計算可能性 現宇宙のすべての粒子の情報を、(そのごく一部分であるところの)計算機なり頭脳なりに格納するのは原理的に不可能であると思います。情報を漏らさず保持するためには、最低現宇宙と同じだけの物質を用意せねばならないでしょう。つまり、明日の現宇宙を知りたければ、同等(以上)の規模の別宇宙[注1]を作って実験あるいは計算するか、あるいは、現宇宙を明日観察する(これでは予知できないのと同義ですね)しかないということです。 ・「宿命論」の意図 従って、宿命が決まっていたとしても、#4さんの言うように、「知り得ない」のです。そもそも「宿命論」を言う人は、それを論拠に次に何を言うのか、が問題です。もし、(だから努力しても無駄である)とか、(自由意志などないのだ)と言い出すのであれば、それは誤りです。彼が、「よりよい人生のために努力する」のが宿命かも知れないし、「運命は変えられない、とダラダラ過ごす」のが宿命なのかも知れません。 ・「全知全能の神」は思考しない 仮に、「神の手にあるシナリオ」があったとしても、そこにはただ「事実の羅列」しかなく、「意味」のようなものは無いでしょう。なぜなら、法則を見い出したり、論理的思考[注2]をする能力は、 "限られた情報からより多くを推測するため" に人間が持っている能力だと思うからです。この能力は、生命誕生以来、進化の過程で徐々に獲得して来たものでしょう[注3]。このような能力は全知の神には不必要なものです。(推測する必要がありませんから。) ・「宿命論」と「自由意志」 ですからもし宿命論者が自由意志や思考を否定するのであれば、「与えられた情報の中で最善を見いだす能力を放棄するのか」「そのへんに転がっている石と同等以上の価値を見いださないのか」と反論します。 [注1] この場合の別宇宙は、情報さえ確保していればよいので、必ずしも全く同一のものを作る必要はない。例えば簡単な例では「全く同じ大きさで左右逆の宇宙」とか。 [注2] 例えば、「もし…ならば…である」のような、一見、人間の思考とは無関係にアプリオリに真理であると思える形式すら。 [注3] 環境から得た情報から、生き延びる可能性をより高くする能力全体を想定しています。例えばゾウリムシは高温・低温を避けるように運動する、とか。
お礼
興味深い見解、ありがとうございます。
- shiara
- ベストアンサー率33% (85/251)
現代物理学の回答としては、不確定性原理があるため、物体の運動を確定的に予測することはできない、となります。不確定性原理とは、ある粒子が、位置と運動量(及び時間とエネルギー)の両方について同時に確定的な値を持ち得ない、と解釈されます。逆に言えば、いくつもの値をとり得るということです。運動量は、相対性理論の形式で記載すると、4次元空間内の粒子の軌跡の接線ベクトルとして表わされます。古典力学的には、確定した位置で確定した接線ベクトルを積分することで、確定した軌跡を描くことができますが、不確定性原理のために、このようなことができません。確定した位置で接線を引こうとすると、接線ベクトルがいくつも引くことができるという状態になる訳です。このようなことで、確定した軌跡を描くことはできません。すなわち、確定した未来を描くことはできないということです。 ところで、よく古典力学では、全ての情報が確定的に知られていれば、その後の運動を確定的に記述できるように言われますが、それは正しいのでしょうか。例えば、2個の粒子の衝突を考えた場合、仮に平面内での運動であったとすると、衝突後の未知数は4個(各々の粒子の速度のx成分、y成分)に対し、運動量保存則は2個、エネルギー保存則は1個の条件しか与えませんから、条件式が1個足りません。このような問題では、衝突後の速度は全て確定するのでしょうか。
お礼
ありがとうございます。不確定性原理や粒子の問題についても我々の知識では追いつかない法則がまだあるのではと思ってしまいます。
- YSW
- ベストアンサー率23% (33/141)
同じことを同じように考えたことがあります。 でも、シュレーディンガーの猫とか量子力学とか持ち出されると、「違うかな」と思わざるを得ません。 まあ、それは置いといて、仮に森羅万象が運命で決まっていたとして、 「すべての物体は人も星もいっせいに、このシナリオに忠実に時間どうり役を演じるしかないのである」ではなく、 「すべての物体は演じられている役(登場人物)」じゃないでしょうか。 つまり、登場人物は、シナリオの続きや舞台裏を知ることが出来ません。 そう考えると、運命で決まっていたとしても、そうでなく偶然によって(確率によって)未来が刻々と変わっていたとしても、なんら違いはありません。脚本が完成しているか未完成のまま幕があがったかの違いだけです。 じゃあ、その運命を計算で求められたら運命を変えることが出来るじゃないか、と言うパラドックスには「運命は計算では求められないと運命で決まっている」と皮肉交じりに説明できます。
お礼
なるほど。ありがとうございます。ただ運命は計算で求められるとおもっているのですが。
それを信じるとすると、この世で起きるすべてのことは,偶然ではなく必然だということなのでしょうか? ボーイフレンドの中でどの彼といつ結婚するのかとか? このありんこは今日このおじさんに踏み潰されるとか? この船はこの海で沈むとか? ある夫婦の赤ちゃんは男の子か女の子かとか? そういうこともその方程式で解けるということですよね?? そういうことってすごい大昔からいろんな人が星を眺めながら考えていたと思うのですが、哲学的な考え方に過ぎないと思いますよ。 もしそんな方程式があっても、人間の力でははるか未来になっても絶対に溶けない方程式だと思います。といてはいけないような気もします。人間は神様にはなれませんから。 仏教では森羅万象、万物はめぐりめぐって生まれ変わるという考えですよね。それも哲学ですし。 天文学的に確率をどんどんつめていってパーセンテージではじき出すのも哲学ですし。 この広い宇宙に他の星にも高度な生命はいるはずだから、宇宙人はいるというのも納得ですし、それを否定する学者の意見もそれはそれでいいんじゃないかと思います。 人それぞれの哲学でいいんじゃないかと思います。 宗教や国が違えば思想も違いますし、もしそのようにこの世のすべてがすでに運命付けられているとしても、信じる人と信じない人はいるでしょうしね。 前のかたがおっしゃっているように、あまり深く考えることではないと思いますよ。 自分とはなんなのか?ということになりますので。 自分がいつどこでどんな風に死ぬのかわかっても知りたくないですしね(^-^)
お礼
なるほど。意見ありがとうございました。
- daidou
- ベストアンサー率29% (491/1687)
「シュレーディンガーの猫」は神の配役に従いません。 そもそも、森羅万象を定量的に計る事は原理的に不可能で、世界の全ては確立で記述され、導かれる解も確立に過ぎません。 確かに巨視的にはかなり高い確率での予測は可能でしょうが、それもあくまでも確立に過ぎません。 「不確定性原理」「カオス理論」をキーワードにちょっと知識を仕入れてみれば、大体のところは判ると思います。 なお、もし決定論的な因果律に従って、無限演算能力と無限情報集積が可能であれば、確かにそのような考え方も可能でしょう。 しかしその原始条件に誰か(神?)の意思が働いているとは私には思えません。 原始条件はあくまでも無作為のものでしょう。 ただ、その原始条件によって、巨視的には必然的に事象が起こっているように見える、という事に過ぎないと考えます。 もしそこに何かの意思があるとすれば、それは独立したなにか(神)のものではなく、森羅万象全ての構成要素の意思の総和であろう、と考えます。
お礼
ご意見ありがとうございます。 ちなみに私なぜか確率論を信頼できません。ただ我々の知識が足りないのもだと思っています。不確定性原理もおかしいと思ってしまいます。
考えすぎだと思います。人生 他にもしなければいけないこと・考えないといけないことはたくさんあると思います。
お礼
おっしゃるとおりです。。。
お礼
いつか指摘されると思ってました。返事に困りまして。 私はただ皆様の意見が聞きたかっただけなのです。ちなみに私自身の見解としては宿命論は信じており、神の存在は否定してるといったところでしょうか。 仮に時間を止める(何らかの式における時間を定数にする)とその瞬間の全宇宙の分子、原子、素粒子、あるいは未確認のもの の位置、相互作用、もしくはその他の状態は1通りしかない(つまり、何らかの式で解ける)と思っています。時間が連続であるか不連続であるかはおいておいて、次の瞬間のそれらも確率でない何らかの式(式自体は前述のと変わらず、時間定数だけが変わる)から導けると考えるとやはりはじめからすべてのものは決まっていたのではと思ってしまいます。