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秀吉登場の最古の記録は?

秀吉(羽柴・木下含め)が文献上現れる最古のものはいつ書かれたものであり、 どのような表現で登場しているのでしょうか? 秀吉に関しては、「信長公記」「太閤記」などで後年になってから色々な逸話を含め表現されていますが、事実として登場した最古のものが知りたいのです。 私の知識では、京都奉行職になった時点の記録が一番古いもの・・・として記憶しています。 それよりも以前に秀吉の存在を表現している記録や書簡等・・・ご存知でしたら教えて下さい。

みんなの回答

  • charpon
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回答No.1

二次史料(太閤記など)ではいろいろな記述がある秀吉ですが、年代がはっきりしている一次史料となると、所見では、 『岐阜県史 史料編 古代・中世4』に載っている「坪内文書」永禄8(1565)年11月2日付木下秀吉知行充行状 ではないでしょうか? 同所収「兼松文書」の年未詳6月10日付木下秀吉等連署充行状は、永禄11(1568)年の上洛以前であることは確かなようですので、一応挙げておきます。 私は秀吉についてそれほど詳しくないので、もっと古い史料もあるかもしれませんが、一応回答させていただきました。 参考URLに『岐阜県史 史料編 古代・中世4』の目次を載せるHPを見つけましたので記入しておきます。

参考URL:
http://www.library.pref.gifu.jp/library/mokuji/siryo_kodai_4.htm
umigame3
質問者

お礼

ありがとうございます。 「秀吉」という人物の素性がすごく気になっています。 本格的な斉藤攻め前に知行宛行状を出す程度の実力を持っていた・・・という事になりますね。 墨俣一夜城は事実面で疑問な点もあるでしょうが、いずれにせよ、斉藤攻めで蜂須賀一家との合同作戦企画により昇進・・・というところでいきなりの登用・・であることは事実に反していない・・・ですね。 しかし、秀吉という人は「謎」の多い人です。 一方、「光秀」もそういう意味では同じ「謎」の多い人物です。

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