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関係代名詞thatの制限用法か非制限用法かを考察する
- 関係代名詞thatの制限用法と非制限用法について学校文法と私の考えを比較する。
- 関係代名詞thatの制限用法と非制限用法について、先行詞が「特定」される場合と時制の統一性に注目し、その特徴を説明する。
- 関係代名詞thatの制限用法か非制限用法かを考えた結果、私は非制限用法ではないかと思うが、批判を受け入れる姿勢でいる。
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忙しかったので遅くなって済みません。 語用論の観点から、fwkk8769さんが関心を寄せていらっしゃることを整理してみるとどうなるかを考えてみました。語用論についてどのくらい予備知識をお持ちか分かりませんので、そんなことくらい分かってるよ、とおっしゃるようなことになるかもしれませんが、その節はご容赦下さい。次のように話を進めたいと思います。 I.特定/不定とは具体的には何を意味するか II.そのことと「制限用法/非制限用法」という文法用語・文法概念とはどう関わるか 長いので何回にも分けて投稿します。 I.特定/不定とは具体的には何を意味するか 言語は、話し手(書き手)と聞き手(読み手)が協力して行う行為です。表現しようとしている現実の全ての側面を言語で表現しきることは不可能ですから、話し手(書き手)の側は最小の労力で最大の効果を上げるようにと考えて言語化します。その言語化された部分を手がかりに、聞き手(読み手)の側は、大げさに言えば、全知力を動員して解釈しています。話し手(書き手)の側は逆に、相手がこのくらいの手がかりを与えれば解釈できるだろうと常に判断をしながら話して(書いて)いるわけです。「昨日はレストランで食事をした」と言えば、聞き手(読み手)が「話し手(書き手)がレストランのウェイターに注文をし、(自分でではなく)そこのコックが料理をつくり、ウェイターがテーブルまで運んできたその料理を話し手(書き手)はテーブルの上で食べ、食べ終わったお皿はウェイターが台所に下げ、私は伝票に書かれた金額をレジで支払い、外に出た」という意味に解釈するだろうと判断していることになります。これ以外の解釈---例えば、何らかの事情でレストランの台所の隅で自分でつくって食べた、などの解釈-----をしてほしいのなら、そのしてほしい解釈に必要な(聞き手(読み手)にとって必要な)最小限の手がかりを提供する必要があります。言語化された手がかりでもいいし、状況や文脈のようなものでもいいのですが、「昨日はレストランで食事をした」だけだと先ほどのような解釈をされてしまう可能性が高い。 したがって、話し手(書き手)の側は常に聞き手(読み手)の側がこれで分かるだろうかと判断しながら話す(書く)のですが、その判断がいつもうまくいくとは限らないことになります。過剰な手がかりを与えて混乱させたり、過少な手がかりしか与えず、してほしい解釈をしてもらえなかったりすることはよくあります。つまり、言語は客観的な言語形式---syntaxとかmorphologyとか、一言でいえば文法---によってだけではなく、話し手(書き手)と聞き手(読み手)の主観的な解釈行為が大きな役割を果たしているのです。(続く)
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- noboru127
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(承前) II.そのことと「制限用法/非制限用法」という文法用語・文法概念とはどう関わるか 語用論は学問上の用語として登場したのは戦前ですが、本当の意味で研究が始まったのは、1970年代になってからです。そのころ、認知科学という学際的な学問分野が興隆し、研究が一挙に進みました。それまでは言語学の中では、語用論はいわばお添えもの扱いで、比喩とか皮肉などのような直接発話された言語形式以外の「言外の意味」が細々と研究されていました。(安井先生にも「言外の意味」という著書がありますが明らかにお添えものだったと思います。---このご著書の質が低いと言っているのではありません。内容はとても立派な本です。)それは言語の中核をなすのは言語形式によって表出されたものであると考えられていたからでした。それが1970年代から「伝達においては聞き手(読み手)による絶え間ない推論の連続が必要であり、それ抜きにしてはどんな簡単な伝達も不可能である」と考えられるようになってきました。認知科学の一翼を担う人工知能の研究が頓挫したのもこの点でした。さきほどのレストランでの食事の例を思い出して下さい。 それに対して、「制限用法/非制限用法」という概念・用語は1970年代のずっと以前から、語用論などとは無関係に、つくり出されたもので、主としてカンマ(発話であれば音調の低下と非常に短い休止)があるかないかという外形的な基準で決められたものでした。したがって、このように細かく見ていくと当然うまく分類できないものが出てくるわけです。ただ学校で生徒に教えるような場合の目安としてはそれなりに役に立っているはずです。fwkk8769さんも、その区分よりは、「特定/不定」 の伝達行為の中での具体的意味、特に、推論しながら発話を理解しようとしている聞き手(読み手)な側から見た「特定/不定」、相手がこう推論してくれるだろうと推論しながら話している(書いている)話し手(書き手)から見た「特定/不定」という面にさらに研究を深めて行かれることを期待しています。そして、その成果で私たちを触発して下さい。ありがとうございました。
- noboru127
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(承前) fwkk8769さんが安井先生のご著書から引用なさった「従来の伝統的な分析にはなじまないが、the book (that) I bought yesterday を構造分析するなら、book と the … (that) I bought yesterday とに二分されることになる。端的に言うなら、定名詞句に続く関係詞の用法は、『定冠詞theの中身を指定するもの』と言うことになるであろう」との説明は今私が述べたことをおっしゃっているわけです。 しかしこれは話し手(書き手)の側から見たことであって、聞き手(読み手)の側からすると、that以下はまぎれもなくbookの外延を制限しています。それに続けての引用「関係詞節が先行詞の範囲を限定する働きを持つというのは、先行詞が不定名詞句である場合に限られることになる」に関しては、もう少し細かく見る必要があると思います。先ほどもちょっと書きましたが、不定冠詞を使っているからと言って、話し手(書き手)にも特定できないかというとそんなことはありません。自分には特定できているが相手は特定できないだろう、それで構わない、と判断しているケースも多々あるからです。もちろん話し手(書き手)当人にも特定できていない場合も多くあります。 (1)I bought a DVD player that can play both CDs and DVDs..(話し手には特定) (2)I was looking for a DVD player that can play both CDs and DVDs.(話し手にも不定) (3)I must find a man who will help me. (不定の読みも、特定の読みもある) 話し手には特定できている場合には、話し手にとってはthat以下は制限しているとは言えません。ある意味で話し手(書き手)にとっては追加の情報ということになります。聞き手(読み手)にとっては、制限を加えていることになります。話し手(書き手)にも不定の場合には「制限」です。 何度も言うように、どこまでやれば聞き手(読み手)が、こちらが念頭に置いている特定物を念頭に置いてくれるかは、話し手(書き手)の側からは推測するしかないので、その推測がいつも適正とは限りません。また、特定させるにはこれで十分だと分かっていながら、その語の外延ではなく内包のある面を、念のため強調するために付け加えることも時としては起こりえます。fwkk8769さんのそもそもの質問の”that…….”もそうしたものだったと考えられます。 (続く)
- noboru127
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(承前) 以上のことを前提に、「特定/不特定」の問題と「制限/非制限」の問題との関連を考えてみます。特定の個物を念頭に置いてそれを表す名詞を使っていることを相手に伝える上で、一番原始的なやり方は指さして、”this book,” “that dog” 等と言うことでしょう。ただこれはそのものが目の前にないとダメですから、言語の機能としては著しく応用範囲が狭い。目の前にないものの時にはさきほどのことが問題になってきます。 話し手(書き手)はある特定のものを念頭に置いているとして、聞き手の側はどうか。話し手(書き手)の判断はおおむね次のように分かれると思います。 (1)べつに相手にはどの特定のものか分かってもらう必要はない 例:I bought a book yesterday. 話し手(書き手)にはどの本か分かっている (2)相手にも特定してほしい 例:Look at the book on the table. さて、(2)のケースで、 “the ○○” と言っただけで、話し手(書き手)が念頭に置いている特定物を聞き手(読み手)も念頭に置いてくれる可能性が高いのはどんなときでしょうか。それは文脈や聞き手(読み手)が持っているはずのこの世の中に関する知識から推論できるはず、と話し手(書き手)が判断できる場合です。 例:The sun is shining. ( “the sun” とよばれるものはあれしかない、と聞き手(読み手)は知っているはず ) 例:Could you open the window, please? ( 他人に「窓を開けてくれ」と頼む時、頼まれた人のすぐそばの窓を開けてくれ、と頼むのが普通のことで、それ以外の解釈が必要ならもっと別の手がかりを与えているはずだ、と聞き手(読み手)は考えてくれるだろう) 例:You took a photo of me. Show me the photo, please. (文脈を考えるとその前の文で “a photo” と言ったその写真のことだと聞き手(読み手)は判断してくれるだろう) “the ○○” という手がかりだけからでは、聞き手(読み手)がどの特定物なのかが判断できそうにないと話し手(書き手)が考えた場合には、それに加えて別の何らかの方法が必要となります。 例:Look at the book on the table. Please take any card out of the deck(that)I last put on the table. (話者はthe book, the deckだけで特定できているが、相手は特定できないだろうと判断している) (続く)
- noboru127
- ベストアンサー率36% (4/11)
noboru127です。FWKK8769さんの質問が深いところにあることが分かったのと、私がたまにしかコンピューターに触らないのが重なってこんなに続きが遅くなっています。深い質問に答えるにはこのサイトではやりにくいですね。個人のメールに連絡してくださいと書いたら削除されてしまいました。 もう少し待ってください。大変ご質問に触発されました。
お礼
ご回答をよろしくお願いいたします。 私の関心は 関係代名詞whichのいわゆる「限定[制限]用法」には分類的機能があるのに対して、今の学校文法では関係詞とされているthatは指示詞的性質を色濃く保っていて、性質記述的機能しか持ち合わせないのではないか、 という方向に向かっています。
- hakkoichiu
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No.1です。 補足欄のご投稿拝見しました。 せっかくURLを貼っていただきましたが、綴りが正確で無いようで目的の画面に行き着けません。 訂正お願いします。
補足
- noboru127
- ベストアンサー率36% (4/11)
>先行詞が「特定」される場合にはその関係詞は原理的に非制限用法になる とお書きになっていらっしゃいますが、少し思い違いをなさっていると思います。 正しは「先行詞がもう充分特定されていると話し手・書き手が感じている場合には」です。けっして客観的・論理学的にではありません。 ちょっと専門的になりますが、これほどまでこだわっていらっしゃるので、きっとうるさがらずに読んでくださると思い、そもそもの話を書きます。 名詞を形容詞等で修飾する時、それは限定するためなのか、追加情報を加えるためなのかという問題があることにお気づきでしょうか。 “thick ice” は前者、 “cold ice”は後者です。形容詞でなくても同じです。 “dying people”は前者、 “a growing boy(どんどん大きくなる子ども)” は後者です。 氷は冷たいに決まっているし、子どもはどんどん成長するに決まっています。しかしこのように表現しているのは話者・筆者がそうしたい気持ちを持っているからで、客観的に決まっていることではないのです。もちろん “ice,” “boy” だけで十分だと考えて表現することもあり得るのですが。 関係代名詞で修飾している時も同じです。 (1)Without the sun that nourishes the plants, no animals could be alive. “the sun”はもちろんあの太陽で、それ以外の何物でもありません。「植物を育てない太陽」が「植物を育てる太陽」のほかにあるわけがないのは客観的・論理学的には自明のことです。したがって、 (2)Without the sun, no animals could be alive. と言ってもほぼ論理的には同趣旨になっています。もちろん、話者はこれでは物足りないと感じて(1)のように言ったのです。これを (3)Without the sun, which nourishes the plants, no animals could be alive. と言うこともできます。これははっきりwhich~plants の部分を追加情報として述べているわけです。 第二の論点である時制の件も少し思い違いをなさっているようです。書き手は今の時点からふり返って過去のことを述べているのですから、これで「統一性」はとれています。制限用法かどうかとは直接の関係はありません。 (4) She gave him a box that turned out to be empty. (4’) She gave him a box, which turned out to be empty. 結論として、あなたにとっては十分に特定されていると感じられる “the broadcast of the explosive television film” を、筆者はもうちょっとはっきり特定したかったからこの文になったのです。けっして異常ではありません。
お礼
お礼が遅くなってしましましたが、ご回答いただきましてありがとうございます。 第2点については確かに今ひとつ自信がありません。「専門家」の方からのご指摘に対して自信が十分あるわけではないのですがないので、第1点に絞って補足させていただきます。 (1)まず、私の非制限用法のそもそも論の説明の部分に関して 正し[く]は「先行詞がもう充分特定されていると話し手・書き手が感じている場合には」です。けっして客観的・論理学的にではありません。 とご指摘いただいた点はおっしゃるとおりで舌足らずの表現だったと反省しております。が、このことにより私の主張に大きな矛盾が生じるわけではないと考えます。 (2)次に、「非制限」用法という言葉についてです。今考えてみますと「制限用法」という言葉には(逆の意味でその対語の「非制限用法」にも)2つの用い方があるように思えます。今回の私の用い方はこの「制限」用法をより限定的に考えているのだと後になって思いました。このことを最初に断っておいた方が私の真意を理解していただきやすかったのかもしれません。 (3)さて、ご指摘の「名詞を形容詞等で修飾する時」の「限定するため」と「追加情報を加えるため」の用法のうちの後者についてですが、この用法は意味上、「非制限」用法と呼ばれていることが今回の私の主張の前提です。(→例えば『英語学要語辞典』(編集主幹:寺澤芳雄、研究社、2002)の”attributive adjective”の項。他に「記述的」などという言葉もあるようです。) 以下「補足」に続きます。
補足
(4)次に、noboru127さんは 関係代名詞で修飾している時も同じです。 (1)Without the sun that nourishes the plants, no animals could be alive. “the sun”はもちろんあの太陽で、それ以外の何物でもありません。「植物を育てない太陽」が「植物を育てる太陽」のほかにあるわけがないのは客観的・論理学的には自明のことです。したがって、 (2)Without the sun, no animals could be alive. と言ってもほぼ論理的には同趣旨になっています。もちろん、話者はこれでは物足りないと感じて(1)のように言ったのです。 とおっしゃっています。この論理に従えば、(1)の”the sun that nourishes the plants”の関係詞thatはまさに上述の(3)でいう「非制限」用法と言えるのではありませんでしょうか?私はこの意味で件の英文のthat節は、「もし仮に制限か非制限のどちらかに区別をするならば、非制限用法ではないかと思えてなりません」といっているつもりです。 確かに、伝統的説明は関係詞のの「制限」という言葉をより広くとらえて、noboru127さんが挙げておられる “(3)Without the sun, which nourishes the plants, no animals could be alive.” のように「which~plants の部分を追加情報として述べている」そういう「カンマ+which…」のものだけに限って「制限用法」という言葉を用いているようです。しかし、より厳密に「制限用法」という言葉を用いたい、と私は考えるわけです。 (5)なお、この種類のthat関係詞節については以下のように私の主張を支持していると思われる記述もあるようです。例えば、『英語語法大事典』(第1集、大修館書店、pp.1215-1216)は、D.H. LawrenceのSons and Lovers から Annie played under the tall old hedge, picking up alder cones, that she called currants. などの用例を挙げた上で、 以上見てきたようないわゆる『非限定用法』のthatの用法は、”the rain that nourishes the crops and the sun that ripens them …” のthat と、コンマの有無の違いはあっても、意味の上ではそう違いはないように思われます。the rain that nourishes … のthat はコンマが前にはありませんが、いわゆる『限定用法』とは異なり、すでにそれ自体限定されている先行詞のもっているある特徴をとくにとり出して記述する節を導いています。このthat…の節は the cruel Neroのcruelという形容詞と同じものと言えましょう。 と書いてあります。この「いわゆる『限定用法』とは異なり」という部分にご注目ください。 また、安井稔は『仕事場の英語学』(開拓社、2004)で、 従来の正統的な分析にはなじまいが、the book I bought yesterday を構造分析するなら、bookとthe …(that) I bought yesterdayとに二分されることになる。端的に言うなら、定名詞句に続く関係詞の用法は、「定冠詞theの中身を指定するもの」と言うことになるであろう(p.42)。 と言い、さらに 関係詞節が先行詞の範囲を限定する働きを持つというのは、先行詞が不定名詞句である場合に限られることになる(p.48)。 と言い切っています。 以上、件のthat節はもし仮に制限か非制限のどちらかに区別をするならば、非制限用法ではないか、と述べた部分を補足させていただきました。
- hakkoichiu
- ベストアンサー率21% (250/1139)
視点を変えて考えましょう。 中学三年間で習う初等文法を身につければあまり細かい決りに拘らないで書き手、話しての真意を誤解無く理解出来ることではないでしょうか。 拘りが続くと文を読む速度が落ちて読書量を増やすときのブレーキになって英語で考える、英語での知識が後退するように思えてなりません。 色々な文を見聞きして、おかしい表現と感じた時に関連する文法を勉強して理解するやりかたは如何でしょうか。 例えば, "I is from Africa."のような文に出会ったときに人称代名詞と動詞の格変化を復習すればよいことでしょう。 文法に関する研究者、学者、指導者を目指しておられるのなら全く見当はずれなので無視して下さい。 思いつくままに書きましたが失礼でしたらごめんなさい。
補足
私の質問の一部が規約に触れる書き方をしたらしく、私の質問箇所の英文が特定できなくなってしまいましたのでこの場をお借りして書き出します。 次の英文の1つ目の関係代名詞thatです。 The boy said the incident took place on the day of the broadcast of the explosive television film that launched the police investigation that led to Jackson's arrest. (http://dailytelegraph.news.com.au/story.jsp?sectionid=1267&storyid=2777201のマイケルジャクソン裁判に関する記事の真ん中付近)
お礼
お礼がとっても遅くなりましてすみません。今の私ではnoboru127さんのご回答の内容が十分理解できるところまで行っていませんがとっても参考になりました。引き続きもう少しこだわってみようと思います。 ご丁寧なご回答をありがとうございました。