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困っている人を助けたいけど、悩んでしまう・・・
宜しくお願い致します。 今日こういうことがありました。よくこういうことがあるんです。 一人でコンビニに出かけ時、Aという友人に出会いました。 その友人が『タクシーで行こうと思ってたんだけど、タバコをおごるから、車で○○に連れていってほしい』(近場)と言ってきました。 私自身は、特に用事もなかったし、タクシーだと値がはるな・・・と思い、心の中で『いいよ』と思ったんですが、なにかひっかかり、踏みとどまりました。 私は、なにか与えてくれなくても、お願いごとは出来るだけ無償で手助けしたいんです(この思いをいうと、私の気持ちがスッキリしないと言われました。そういう時は受け取りますが・・・)。例外として用事がある時や、かなり難題なお願いなどは別です。 かなり難題な場合(例えば、かなり遠距離な場所に連れていってほしいなど)は、交渉という形をとります。 協力する価値があるのか?という方法です。ないと思った場合は、物などを引き合いにしたりもします。 昔は、なんでも自分の時間を犠牲にして、手助けしていたんですが、二つの人間がいることを知り、今はこういう方法をとっています。 1、手助けしてくれたことに、感謝してくれている 2、手助けすればするほど、相手は怠慢や甘え、なまけ心でお願いをしてくるようになっていく この他にも、PCを見てくれといった、何回も手伝いつづける内に、2の状態になったりして困っています。 私自身、今はやりたい目標があり、そのために探せば出来ることは山ほどあるので、そういう面でも困っているんですが、代償の法則、人を救うことは自分を救うこと、与えよさらば与えられん、相手のためにならない場合も少なからずある、真の友情、といったことを考えると、他にもいろいろ考えてしまいます。 どうすればいいものでしょうか??どうか宜しくお願い致します。
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- mario33
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1から2の状態になるひとはよくいます。そこで考えてみたのですが、例えば自分が物事を頼む立場になったらどうでしょう。 近場に送ってもらう代わりにたばこをあげるのは、2の状態にならないような自己に抑制をかけているためではないでしょうか。 その人のためになることは個人差ありと思うのですが。その状況や。ですから、 >>代償の法則、人を救うことは自分を救うこと、与えよさらば与えられん、相手のためにならない場合も少なからずある、真の友情 を一括に含む法則を知りたいんです。そのためには場合わけが必要だと思うのです。しかし場合わけというのが本当に難しいのです。1の人と2の人に分けきれればそれは簡単なのですが、1の人と2の人の中間の人というのもいます。そのうち甘えるようになるだろうという人です。これはすでに not1 且 not2 の領域でそれこそ頼まれる側も寛容さが必要だと思うのです。その辺りどうでしょうか。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
自分がどのタイプなのか考えて、その方針を決めればいいんじゃないでしょうか。 人間は完璧では無いし、完璧というものはこの世に存在しないし。 1.人のためならその人ができることでも奪って実行し、感謝されたいタイプ。 2.その人が自分でもなんとかできるがお願いされたら、困っているということで助けるタイプ。 3.自分でもできるが、その人の計画性を奪うことなら、「嫌です」といえるタイプ。 (これを奪ってしまうと自分にはねかえってくるし) 4.人とトラブりたくないので、トラブルくらいならアッシーになってトラブルを逃れたいタイプ。 5.人に施した後、感謝されると満たされるタイプ。 感謝されないと不満に思うタイプ。 6.人と交渉するのがめんどくさい・苦手なタイプ。 7.親しい人間関係の基準がわからないタイプ。 まだまだありそうですが、今回は相手にいいように利用され、友達としてみられなくてアッシーとして利用されているんじゃないかって思っているんじゃないでしょうか。 つきあっているうち相手の認識を友達から 知り合いのなんでも屋へと変えてしまったようです。 これが愛する人をゲットするためなら涙ぐましい努力は必要で結婚相手をゲットできるでしょうが、友情は得られないと思います。 一方通行は無いんです。 私がエネルギーを相手に与えたら、なにかしら同等のものが返ってくるのです。 例えば私がアッシーを続けていたら、相手にひどい事をされるようになる。 相手のせいじゃない 自分のせいです。 自分の今までのアクションが結果相手にそうさせてしまったんです。 私は善意のつもりなのに相手は利用していたのだから、私の善意は相手に届いたとき偽善になっており、偽善を与え続けていたわたしはアッシー扱いされるという制裁を受ける。 難しいですよね。 人によって認識が違うし・基準が違うし。 自分がりんごと見ているものは相手もりんごだと見ているとは限らない。 相手も当然りんごだと認識していると思い込むと、なぜなぜ?ワールドに陥る。笑 なんどか「どうして?」ってあなたと同じように自分の行為が正しく評価されないばかりか、不利益を被った人の相談を請けましたが「善人になるな もっと汚れろ そうすれば 友達はできるし 人はあなたを愛するでしょう」なんて言ってます。 真っ白のキャンパスは魅力ないし敬遠したくなる。 多少汚れがあると趣のあるものになる。 この汚れが人間らしいってことなんじゃないかと。 よく「これ健康にいいから」って食品ありますが、いくらよくても食べ過ぎると多量のその物質を摂取しすぎたため内臓をやられます。 100%食べても安全なものなんて無いです。 だから健康にいいと言われるもの1種類ではやがてそのいいという物質によって病気になります。 一日30種類を少しづつ取っていくのが健康。 つまりいいものも悪いものも少しづつ取っていけば、内臓を壊すまでの影響を受けにくいってこと。 相手の人があまりに健康にいいというあなたの善意を摂取すすぎて、内蔵を壊しちゃったんじゃないかと。 たまには毒与えて中和させてください。 笑
- baihu
- ベストアンサー率31% (114/357)
哲学カテにふさわしい回答になるよう努力します(^^; まず、報酬という言葉について考えてみます。 辞書的には「労働や物の使用などに対するお礼の金銭や物品」ですが、もっと広い意味で“感謝の言葉”が同等以上の価値を持つことがあります。 例えばなにかの賞を受ける場合でも、賞金などは副賞であって、メインはトロフィーや賞状、突き詰めれば「賞する」という承認の言葉だと思います。 ご質問を読んで、“感謝されない辛さ”というようなものが背景に見えるように思いますが、いかがでしょうか。 「無償で手助けしたい」と仰る気持ちを、より厳密に分析すると、「(感謝のこもらない)多少の金銭や物品よりも、感謝の言葉や気持ちを返されるほうが、自分には価値があると感じられる」だと思うのです。 “感謝の言葉(気持ち)”という報酬を期待している自分を認めれば、どちらが“より崇高か”というような点で引っかかることはなくなるのではないでしょうか。 言葉や気持ちを含めた報酬が得られない状態が続くと、当然へこみます(欲求不満になります)。ご自身の精神衛生のためにも、「そーゆー人」に対しては上手に断るテクニックを身に付けられるといいように感じました。 「ごめんね、今都合が悪くて」「今余裕がないんだ。力になれなくて悪いなぁ」などと、気持ちよくすらっと言えるようになるといいですね。 ……以上、私自身の体験を踏まえて申しました(笑)
- vagabond_0710
- ベストアンサー率26% (68/257)
悩むのなら断るのが賢明だと思います。僕もよくそういうことを考える年頃?です。^^ 僕は、一人の人間としての自律性を重視しています。困ったときは友達どうし助け合いをしています。例えば引越しの時とか。ただ暗黙の了解というか、よほど困ったときにしか助けを呼びません。なぜなら、相手を尊重するということは、相手の意志を尊重するということになります。意志があれば時間は貴重です。やりたいことが次から次へとあるでしょうから。 なので、出来る範囲で自分のことは自分でやる、どうしてもダメなら力を貸してくれ!ということになっています。 なので友人関係は基本的に無償の関係だと思ってます。去年ベストセラーになった「バカの壁」には、共同体は、物の貸し借りでもなりたっている、というようなことが書いてありました。それもひとつの友人関係だと僕は思ってます。ただ、お金や物を与える関係は無償の関係ではなく、僕は不潔だと思います。なのでそういう関係は僕の周りにはいません。類は友を呼ぶというか、自然淘汰されて今の友人がいます。友人に感謝。 もし、本当に他人のためにしたいのであれば、自分を無にでもしない限り無理です。全てを投げ捨てて無償の行為、もう聖人の領域です。^^そのような方々は、それが生きがいだと感じていると僕は思ってます。
補足
有難うございました。参考になり、とても感謝しています。
- wednesday11
- ベストアンサー率33% (71/212)
よほど人間のできた方以外は、 人を助けるのは苦にならない範囲にしておくのがいいと思います。 というのは、自分を犠牲にしてまで人を助けると、 「わざわざ~してあげた」といった意識が出てきてしまい、 相手が自分の期待どおりの反応をしてくれない場合に苦しくなるからです。 まったく苦にならない範囲なら、相手がそのまま忘れてしまっても気になりません。 質問者さんの場合も、「~してあげた」という意識があるから、 結果的に依存されてしまうとうざく感じるようになるのでしょう。 仮に相手が自分の子供なら、PCの設定など何度聞かれてもうざいとは思わないでしょう。 それは、自分の子供に対しては「~してあげた」という意識を持たないからです。 一般に、何かをしてあげることが本当にその人を助けることになることは多くありません。 移動などは電車でもタクシーでもいいわけで、 車を出してあげてもせいぜい交通費を節約する役にしか立っていないわけです。 お金に換算できる程度のことは、真の友情でも何でもありません。 そんな程度のことをしてあげるのは、一緒にドライブするのも楽しいかな、と思える場合だけにしておきましょう。 本当に人の役に立つとは、 相手が本当に他人を必要としている苦しい状況で そばにいてあげることです。 それは相手がいくらお金を積んでも手に入れられないことですから。 問題は頼まれたときの断り方ですが、 そのまま「してやったという気持ちが生まれて苦しいから」と言ってもいいでしょう。 そして、相手が自力で解決するための情報を探してやるなど、側面支援に徹すればいいのではないでしょうか。
補足
有難うございました。 >仮に相手が自分の子供なら、PCの設定など何度聞かれてもうざいとは思わないでしょう。 それは、自分の子供に対しては「~してあげた」という意識を持たないからです。 たしかに、そうですよね・・・『手助けしたのが、逆に悪いほう、悪い方にいってる・・・私が手助けしたいのは素直に困っている人だ』と薄々考え、嫌になってきます。 >本当に人の役に立つとは、相手が本当に他人を必要としている苦しい状況でそばにいてあげることです。 そうですよね、甘えや、怠慢がそこにある、お願い事は苦手みたいです。まだ、未熟だからでしょうか・・・ >相手が自力で解決するための情報を探してやるなど、側面支援に徹すればいいのではないでしょうか。 意識して、側面支援をしているんですが、自分で乗り越えようとは思わないらしく、『家にきてくれ』という方向に、毎回なるので、『いつになったら、きずいてくれるんだ!』と、否定的感情がでてきてしまいます;; 人は、過剰に手助けされていると、自分自身の内なる心の働きの『がんばるぞ!』など、自分に言い聞かすことがなくなっていき、なにか壁につまずいたら、外部に求めようとするようになると聞いたことがあるんですが、まさにそれです。嫌われてもハッキリいうべきなんでしょうか? 先日また、メールでお願いが来ましたので、自分でなんとか出来るかやってみての旨を伝えると、それから連絡が途絶えました、なんか変な気分です。。。
- goonobaka
- ベストアンサー率26% (73/277)
とりあえず、「自分に余裕のある範囲で助ける」という選択がよろしいかと思います。 ある学者が「成功のための近道は、他人の成功を手伝うことだ」という言葉を残していますが、なんでもかんでも助ければいいというわかではありません。 相手の事を考え、自分の財産や生命に危害が生じないなと判断すれば、助ける事は非常に意義のある行動だと思っています。 ただ、pcbcさんがおっしゃるような2の状態になれば、断る勇気も必要です。 考える事をやめなければ、答えは必ずみつかります。 人間は誰でも、そういう機能を備えています。 たくさん悩み、たくさん考えてください。 なにか私に、手助けできる事があれば、手助けをしたいと思っております。 私からのアドバイスは以上です。
補足
有難うございました。 >考える事をやめなければ、答えは必ずみつかります。 人間は誰でも、そういう機能を備えています。 そうですよね、今はまだわからなくても、いずれ答えは見つかると確信を持っていれば見つかりますよね、最近忘れがちでした、きづかせて頂き感謝致します。 >相手の事を考え、自分の財産や生命に危害が生じないなと判断すれば、助ける事は非常に意義のある行動だと思っています。 ここで大切なのは、自分の判断を信じるということですよね。 goonobakaさんが断る時は、自分を引き合いにしますか?例えば、私にも事情があるといったことです。 私は、自分を引き合いにして断るのが苦手なんです、相手がこちらのことを理解してくれないだろうし、逆に裏目に受け取られそうと感じてしまうので、なぜかひけめを感じます。だから、2のような人に断る時には、ここでは要点だけに略しますが、『自分でチャレンジして、それでもできないから手助けしてほしい』っていう場合はありがたく手助けするから、というように断ります。ここで、私にも目的があって、やらなきゃいけないことがあるといっても逆効果な気がしまして・・・しかし、相手がどう思おうが、具体的に私の思いを言うべきなんでしょうか・・・どう思いますか??
補足
有難うございます。 感謝されない辛さもありますが、感謝されなくてもいいんです。助けたつもりが、どんどん悪い方にいっていると考えさせられるんです;;