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ふとした疑問です。
極一般的に他人に何かを御願いするときは自分は顔を上げて姿勢正しく相手の顔を見て御願い事を話し最後に…御願いします。…だけ頭を下げると思ってますが神社や仏閣等々の前で御願い事をする時は一般的に御願い事をする時も…御願いします…も、ずっと頭を下げっ放し…、皆様方々は違いますか?… 是、不思議に思いませんか?… どうして神社や仏閣等々では御願い事の時も最後まで頭は下げっ放しで他人だと違うのですか?…。
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神道の行動や作法は基本的に宮中の影響を受けています。それは天皇がアマテラスの子孫だから。その宮中の様式は中国の宮中に発しています。 狛犬も元は中国宮殿の肯定の前の垂れが風で捲れるのを防いでいた重しだそうです。 拍手は元々貴人を迎える作法でしたし、正中を外すなども全ては中国宮中の作法に起源があります。 さて、古来より皇帝や天皇の前では直視することは禁止されていました。 物を申し上げる際には正面に立っても深く頭を下げっぱなしで、報告後も頭を下げたまま後ずさりし、部屋の外に出て脇を向いて初めて頭を挙げられるという感じです。 だから私達が神の前でものを申し上げるときには、頭を下げるというわけです。そこで、神主さんが祝詞を挙げる間、参列者が頭を下げるのはこのためです。 次に、人が心に決意を込める時、多くの人は胸の前で手を握り、ぐっと顎を絞めて下を向きませんか? もちろん人それぞれですけれど、アニメなどでは多くの場合そうだと思います。 神は“にいますが同時に私達の心の中にいます。だから神に強い願いをするときは自分の心に強く念じるということからうつむくのです。 しかし、キリスト教の絵を見ると上を見ています。それはなぜでしょう。 子供が大人にお願いをする時どうしますか? すがり付いて上を見てお願いしませんでしょうか? 捕らわれた敵が命乞いをする際も縋り付いて相手を仰ぎ見てお願いするでしょう。 キリスト教の信者は子羊、迷い子、幼子などと表現します。 ですから子供である私達が父なる神にお願いする際には、縋り付いてお願いするために上を向くわけです。 同格や大きくはない差の場合は形式的に最後の頭を垂れるだけでよいでしょうが、相手との格差が絶対的に大きい場合や何が何でも叶えて頂きたいという場合は身を低くして頭を伏せる、或いは仰ぎ見て願うということです。
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- toshineko
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ずっと下げっぱなしではありません。 例えば神社での基本は「二礼二拍一礼」です。 拍手の時は頭は下げませんし,二礼二拍一礼の前後は頭は下げません。 人にお願いするときも,顔を合わせた最初は会釈しますよね。 それと同じだと思います。 二礼(会釈)→ 二拍(お願い)→ 一礼(お願いします)の流れ。
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御回答、本当に、ありがとうございました。
- Xiong Qing Ying(@xiongqin)
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へんなしつもん だってさ~、神様の方が強いんじゃあ~ないの 対人相手だと、相手を認める事は少ないでしょう 年下でも面子がある、そして、己も馬鹿にされる事を拒否する意識的なものがある。 あなた、神様見たことある? 神様を見たことがあって、神様がノビタみたいな顔してたら、神頼みのときに「オー試験受けさせてくれよな」となるのでは。「オッス神様頼むぜ」なんてね 神様見えないもんね~、罰が当たる事を意識すると、絶対に疎かにできないよね。 人の心理 参考です、頑張って、よい大人になってくださいね。
お礼
御回答、本当に、ありがとうございました。
お礼
解り易い御回答、本当に、ありがとうございました。 良く解りました。