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現代において科学、宗教のあるべきすがたって?
何度も同じような質問をしてしまい大変恐縮です。以前の質問についてのお答えはみな大変勉強になりました。もう少し推し進めて、現代において、広い意味での宗教(哲学的な意味での)と科学のあるべき姿はどのようなかたちであるとお考えでしょうか?(この二つが接する部分で)←うまく言えないんですが。。。 ご貢献を賜れば幸いです。以前、ご回答してくださった皆様本当に有難うございました。
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「現代において、広い意味での宗教(哲学的な意味での)と科学のあるべき姿はどのようなかたちであるとお考えでしょうか?(この二つが接する部分で)」 ここで言う宗教は特定の宗教などではなく精神的な倫理観や価値観、道徳などであると考えて、読んでいただけると幸いです^^ 科学と宗教の関係は、宗教が科学の始まりであり、人間が科学を推し進める原動力である。 そしてどこまでも推し進めていく科学にブレーキをかけるのもまた宗教である。 というのが理想な関係なんではないでしょうか? ここでいう宗教は権力者による統治の道具である宗教ではなく、未知なる物への畏怖、または人間の想像力、 未知なる世界への安心を得るための一つの作り出された答え。 そういったものをより確かなものにしたいがために科学が進歩した、と言えるのではないでしょうか? それは宗教を信じてその世界を確かめたいがために進歩したものもあれば、宗教という不確かなものへの反発が反証するという目的を持ち科学を進歩させる。 しかしそのうち目的と手段が入れ替わり、進歩させること自体が目的と変わり、進歩の結果がなにを我々に与えようが、お構いなしに進歩させつづける。これを止めることが出来るのが、宗教ではないでしょうか。 原動力とブレーキ、これが私の出した答えです^^
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- apple-man
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宗教は、これこれの教えを信じるといった 「信仰」が基本で、暗黙のうちにそれを 疑ってはならないようになっていますので、 間違いがあっても正されません。 科学は、真実ななんのだろうと 考える、人間の「理性」が基本です。 何々の法則のように、一定の決まりを みんなで信じていることはありますが、 理性的に考えておかしいと思えば、 疑うというのが基本です。 >あるべき姿はどのようなかたちであるとお考えでしょうか? 宗教も理性的にとらえ直すべきと思いますが、 実際には日本の場合、教育の偏りから、 科学が宗教化しています。 例えばNo.7のご回答に >科学は、記述的な命題です。例えば、「地球は太陽の周りをまわる。」 とありますが、まわっているということ 確認できる人は限られていますから、 学校でこのことを学んだら、まず疑って みるというのが科学の基本ですが、 実際には地球が回っているという教えを 単純に信じていたほうが、試験の 結果がいいので、多くのひとがそうして います。 これではただの信仰です。
お礼
これではただの信仰です>このような教育は本当に嫌気がさします。子供たちの興味を損なわせ、知識だけを順々に詰め込む。詰め込むだけならパソコンに全部のってるつーの!!!頭は倉庫じゃない。工場にしていく教育をしてほしいものです。ご回答有難うございました。
- happy_style
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私も最近このサイトに質問をさせていただいています。素人です。 批判的な気持ちは有りませんので怒らないで下さい。 答えたいのですが、ただ質問の範囲が広すぎて曖昧で答えにくいのです。 1。「べき」というのはどういう立場からでしょうか? 特に宗教には、宗教研究者、信者、無宗教主義者、宗教に感心のない人等色々な立場が有ると思います。社会一般の政治的な最大公約数的な幸福の為でしょうか? 真理を追求したいと云う哲学的な立場では「べき」は出て来にくいと思いますが。哲学も良く分かっていないので違っていたらごめんなさい。 2。「現代において」と言うのはどのような状況変化を配慮した現代性に関しての限定でしょうか? 「以前では宗教、科学は~~だったかも知れないが、現代では~~という状況が生まれているから、この点で、宗教、科学はあるべき姿はどのように変わったのか?できるだけ多くの人の幸福を達成すると云う目的の元でおしえて。」 というような質問だとみなさんも答えやすいと思います。
補足
補足しておきますね^^ 「べき」は出て来にくいと思いますが>あなた自身の考える在るべきすがたを聞きたかったのです。 。「現代において」>「現代的な」にしておきます^^ 分かりづらくてごめんなさい。
- corpus
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科学は、記述的な命題です。例えば、「地球は太陽の周りをまわる。」 宗教は、規範的な命題です。例えば、「年寄りを大切にすべきだ。」 そしてヒュームの原則?「記述的な命題から規範的な命題を導くことはできない。」というものがあります。 よって科学が変化したからといって、宗教も変化するということは一般的にはいえません。 ただ、現代の宗教は、その胡散臭さを消すために、科学的であるということを唱えるものが多い気がします また、現代の科学者も行き詰まると、神を想定することもあります。それが宗教的な神かどうかはわかりませんが。 さて、現代の宗教と科学がどうあるべきかですが、私は、宗教と科学は明確に分かれているべきだと思います。というのも、この二つは区別がつかないほど密接な関係があると思うからです。 宗教の文脈で科学の話をしたり、逆に科学の文脈で宗教の話をしたりするのは、あるべき姿ではないと思います。 宗教と科学を共存させるには互いにタッチしないことです。 しかし、いくら意識的に分離していても、宗教と科学は融合してしまうとも思っています。
お礼
ご回答ありがとうございました^^ このように考える人もいるのですね。勉強になりました。ありがとうございました。
- zenzenzen
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力の強いものがいつも善であるとは限らないから. 特に今の世の中なんでもありだから. 力の強いものが先に折れなさい. 弱いものは圧力に封殺される. それでは対話にならない. 気をつけます. ありがとう. きっと私は穴があったら入りたい心境になるだろう.
お礼
力の強いものがいつも善であるとは限らないから 弱いものは圧力に封殺される. それでは対話にならない. >そのとうりだと私も思います。変えていかなくてはいけませんね。正義を貫く強さを人はみんな持っていると私は思います。またそれを信じています。綺麗ごとだと言われるかもしれませんが、それがなくてはこの世の中どんどんつまらなくなってしまいますから^^がんばりましょっ!!
- zenzenzen
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共存じゃなくて支配でしょ.
- zenzenzen
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対話と圧力と寛容 戦争と同じだよね. 気持ち的には. 自分我正しいと思い込んでる. 圧力我.
- kigurumi
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>広い意味での宗教(哲学的な意味での)と科学のあるべき姿は >どのようなかたちであるとお考えでしょうか? 哲学的な意味で? えっと宗教と哲学は違います。 宗教は絶対があって、哲学は絶対は無いです。 科学は絶対としても、その後別な現象が起こると、前回絶対としたものを取り消して、もっと詳細にグループ分けします。 従って科学や哲学は変化していきますが、宗教は変化しません。 その宗教が言う神を変化させようが無いからです。 変化させるともうその神は存在しなくなります。 その宗教を存在させるためには変化させちゃあいけないんです。 宗派があり、解釈によって同じ神を崇めているのに、違う価値観になれます。 どっちが正しいかって血みどろの争いしてます。 科学や哲学では、自分の方が正しいとすれば、あっちの科学の矛盾を指摘して、相手に認めさせます。 自分と相容れないものを殺したりしないです。 宗教は相手を殺します。 従って宗教のあるべき姿って、その宗教それぞれにもう絶対というもので決定しているので、変化をさせることはできないと思うし、変化させたらもう存在しなくなると思うのです。 しかし対話と圧力と寛容により、共存することができると思います。
お礼
従って科学や哲学は変化していきますが、宗教は変化しません。 その宗教が言う神を変化させようが無いからです。 変化させるともうその神は存在しなくなります。 その宗教を存在させるためには変化させちゃあいけないんです>確かにそうですね。もうこうなってしまったら宗教は頑なに守りに入りますよね。それではなんのための宗教だかわかりませんね。私は本来宗教とは人のために存在しなくてはいけないのではと考えております。これでは宗教のために人が存在しているのと同じですね。変えていかなくてはいけない。ありがとうございました。
- 岩尾 俊志(@arakan)
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もう(漠然とではあるが)あなた自身答はあられるように感じます。 が、念のために(あなたの整理のために)言いますと、まず 宗教(見えざるものの法則性)と科学(見えるものの法則性)は Aが正しいか、Bが正しいか、つまりあれかこれかという 対立概念ではありません。 宗教(見えざるものの法則性)が科学(見えるものの法則性)を 包摂(数学のベン図を想定してください)しているものです。 科学は有限、宗教は無限ですから、曇りのない目で見れば 簡単に分かる理屈です。 これが西洋ではルネッサンス以後(それまでの宗教一辺倒の反動として) 日本では明治維新以後(こちらは鎖国のせいで近代化に遅れを取った 反動として)あまりにも科学に傾きすぎて、弊害が目立っている のに過ぎません。 したがって本来あるべき姿=「見えざるものの法則性」を 根底として「見えるものの法則性」を駆使するあり方 に戻ればいいのです。 経済であれば人間の本来の心の幸福、各人の人生の充実を根底に据えた うえでの現象面での微調整、 医学であれば人間の本来持つ自然治癒力を根底に置いた上での 短期・局所療法 などです。
お礼
これが西洋ではルネッサンス以後(それまでの宗教一辺倒の反動として) 日本では明治維新以後(こちらは鎖国のせいで近代化に遅れを取った 反動として)あまりにも科学に傾きすぎて、弊害が目立っている のに過ぎません。>納得いたしました。素晴らしい回答を提供して下さったこと心より御礼申し上げます。ありがとうございます。
お礼
私も全くそのとうりであると思いました。すごく参考になりました^^ありがとうございます。