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科学はバカのためにあるのでしょうか??
題名のとおり、科学はバカのためにあるのでしょうか? というのも、われわれ現代人は、科学を使って便利な商品を生み出してくれた一部の人間のお陰で、様々な恩恵を受けています。例えば、車。アクセルを踏めば前に進みますが、車を運転する人全てが原理を説明できるとは思いません。 私も持っている携帯電話。メールの送受信をしていますが、この構造は全く分かりません。毎日見ているテレビの仕組みでさえまともに説明できません。 このように考えると、やはり科学は自分で考えようとしない愚鈍な人間のためにあるのでしょうか? みなさんの、賛成・反対意見をお待ちしています!! (哲学や宗教と絡めて回答してくださっても結構です。)
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- ad110
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質問内容を私なりに噛み砕いて回答します。 これまでの回答者とかなり違う回答になりますが。 確かにパソコンにしても、車にしても操作が簡単になり、中の構造を知らなくても、操作できるようになったと思います。そういう意味では科学はバカのためにあるといえるかもしれませんが、私はそうは思いません。 科学技術の発達が結果的に機械の中身を知らなくても操作できるようになったのであり、機械の中身を知らなくても操作できるようにという理由で科学が進歩したとは思いません。車でいえば、クラッチ操作がないと便利だろうなという理由でATが生まれたと思います。 科学が進歩したのは人間がより豊かで便利で安全な生活を追い求めた結果だからと思います。
- say-onara
- ベストアンサー率47% (27/57)
こんばんは、 科学は、人間の知的探究心により、今、そこにある事象を論理的に体系付けて、解明するモノと思います。 これを、人々の生活に役立つものとして、応用することが、技術(工学?)と思います。 貴方が言わんとするところが、何なのかは判りませんが、科学=馬鹿の為は、科学=利便性の良いアイテムの前提にあるような気がします。 科学は社会の利便性向上アイテムの土壌でもありますが、応用する人間のセンスや、倫理観で、負の遺産(戦争の武器、兵器)にもなりうると思います。 貴方は科学の存在意義を求めたいのでしょうか?
- apple-man
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★産業革命が真の平等をもたらした とか言う言葉があるようなんですが、 これが現代の科学科学技術のもたらした 確実な成果の1つです。 例えば(出展元を忘れたんですが)、ある人の 試算によると、現代人が普通にもっている 情報収集能力とか、輸送力とか言うのを 江戸時代実現できたのは、大名や少数の 商人だけだったとのこと。 ネットの技術のおかげで、世界情勢や各種統計データを 調べるのは今なら小学生でもできることですが、 日本国内に情勢に限っても江戸時代ならこういった ことができたのは大名くらいのものです。 何十キロもある荷物をいくつも、10キロ先 まで運ぶとなったら、江戸時代なら荷車と 数人の人が必要で、ある程度お金がある商人 や武士でないと無理な話でしたが、今なら 車で多くの人に容易にできることです。 平等な社会で平和を実現しようという 試みは、例えば共産主義や、宗教思想の ように、1つ考えでみんなをまとめようとする 思想活動で多くの試みがあったわけですが どれも世界的にかつ長期に成功したとは言えません。 例えば洗濯という仕事を考えても、かつては インドではお金持ちの使用人がやらされることで、 日本では家庭の主婦の仕事だったわけですが、 洗濯機の登場で、こういった奴隷的作業から 開放されたわけです。 そのぶんもっと知的な活動に多くのひとが参加 できるようになりました。 >科学はバカのためにあるのでしょうか?? 科学技術について知りたければ、情報は いくらでもあるんです。携帯や車の原理を 説明した絵本もある。 ただ、そういったことに対する 学習意欲、学習能力がある人とない人 との間には大きな差ができます。 現代の科学技術がもたらした問題が あるとすれば、生まれ育ちや社会的 身分、経済力と関係ない真の人間の 能力格差を表面化させきてしまって いる点でしょう。
補足
>>ただ、そういったことに対する 学習意欲、学習能力がある人とない人 との間には大きな差ができます。 この言葉を真摯に受け止め、「分からないことは知ったかしないで調べる」という姿勢をいつまでも持っていたいです。
世の中の人が皆、私と同じ頭脳の持ち主なら、 いまだに石斧を持ってウサギを追いかけていると思います。 しかし、おっしゃってる例 等の恩恵にあずかって我々は豊かな生活が出来ています。 でも電卓やワープロが出てきて計算や漢字を書く能力が落ちてきたのは確かです。 科学は豊かな生活をくれる代償に、私たちから考える力を奪うようです
補足
>>科学は豊かな生活をくれる代償に、私たちから考える力を奪うようです。 この意見に私はおおいに賛同です。 単純に「昔の人はすごかったんだな~。」と思うことがよくあります。
- Sombart
- ベストアンサー率16% (45/267)
科学と工学と製品やシステムとを分けて考えましょう。 NO.2 でも述べられていますが、科学は「なぜ?」に答えることを主目的とした学問体系です。 工学は「どうやれば?」に答えることを主目的とした学問体系です。 「どうやえば?」を考えるのに、科学は役に立ちます。 製品やシステムは、顧客からの代価の支払いを求めて作られるモノやサービスです。モノやサービスを安価に効率よく作るのに工学は役に立ちます。 代価を支払う人間が馬鹿か愚鈍か天才か凡人かということが問題になることは、あまりありません。
補足
回答ありがとうございます。
- osamuy
- ベストアンサー率42% (1231/2878)
科学は万人のために存在し、その目的は、全てに説明をつける事です。 それらを応用して、生活を向上させるのは、科学の主目的とは基本的に関係ありません。 なので全てについて理解をする必要は無いですが、衣食住や健康、お金について危ない目に合わないように、科学技術の動向についてチェックする事も、日々の生活には書かせないと思います。
補足
>>生活を向上させるのは、科学の主目的とは基本的に関係ありません。 確かにそう思います。しかし、全てに説明をつける ということは説明を受ける側がきっちり理解しなければいけないのではないでしょうか? いずれにせよ、自分の頭で考える重要性は、いくら科学が発達しようと変わりはないと思います。
- silpheed7
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こう言うときにぴったりなのが クラークの第3法則「高度に発展した科学技術は魔法と区別が付かない」
お礼
意味深い回答ありがとうございます。 もう少し噛み砕いて考えてみます
補足
>>科学が進歩したのは人間がより豊かで便利で安全な生活を追い求めた結果だからと思います。 私もこの意見を否定することはできません。 しかし、 >>機械の中身を知らなくても操作できるようにという理由で科学が進歩したとは思いません。 これには?です。やはり、万人に中身の構造などを説明しなくても扱えるモノを作るために科学は発達したのではないでしょうか。