• 締切済み

現代社会での宗教の役割

近年はテロなどがさらに多発し、宗教が人命を奪う道具になりかねない、本末転倒といった事態です。その意味もあって、古代と現代とでは、宗教の役割は違っているのではないかと思います。皆さんはこの時代に宗教はどんな役割を担い、また果たしていると思われますか?また、宗教を持たない人にもそれは反映されているのでしょうか?もしそうならどのようにか、というところまで答えていただけたら非常に嬉しく思います。よろしければご意見お願いします。

みんなの回答

  • nebura71
  • ベストアンサー率23% (177/743)
回答No.3

これは、ご質問というより、アンケートですね。  (多分、そっちへ移動されるでしょう。) -------  まず序論ですが、「宗教の役割が違う」のは、「古代と現代とで違う」のではなく、「創始段階と維持段階とで違う」と考えるべきだと、自分は思います。  古代であっても、宗教に端を発する残虐事件は無数にありますし(例:キリストご本人の処刑事件、ローマ帝国前期におけるキリスト教徒弾圧、中国における道教弾圧、仏教導入を巡る蘇我氏と物部氏との戦争、等)や現代であっても人の心を救済するために尽力する宗教家はいるでしょう(例:(知りませんが、いるでしょう。)。)。  宗教という名前に隠れた「既得権益」を維持しようとする場合に、「本末転倒」な事態が発生しやすいと言えます(例:中世ヨーロッパのカトリック教会、室町時代の比叡山延暦寺、等)。 -----  これをふまえて、宗教が担う(果たすべき)役割を考えますと、結局のところ、「悩める人々の心を救うこと」に尽きると存じます。  これは、普通の宗教の「創始段階」では当たり前に担っていることなのであらためて申し上げるのも釈迦に説法のような気もしないではないのですが、「維持」の過程でたいてい堕落するものなので・・・  例えば、イエス・キリストは、「隣人を愛せ」とか「右を殴られたら左も差し出せ」とか極めて人徳の高い教えを広めて人気を博した有名人であって、「エルサレムはイスラム教徒のものではないから皆殺しにしろ」とか「異端者は悪魔の使いなので火あぶりにされて当然だ」などとは決して言っていません。  ゴータマ・シッダルタにしても、自分自身が修行を重ねることで自分を高め人々を愛したという偉大な実績を持ちますが、「それを他人にまで押しつけるべきだ」とか、「出家して念仏を唱えれば救われる」とか、「自分の教えでもって国家を統治せよ」なんて妙なことは言っていません。    偉大な思想が、本末転倒やドグマになってしまうのは、後を継承した連中の発想が貧困だったからに過ぎないわけで、根本的な「宗教の役割」というものは、時代を超えて普遍的なのではないかと思います。   ただし、現代日本に限ると、習俗としての行事への権威付けの役割しか果たしていないとも言えますので、これは異色です。  例えば、自分は無宗教(宗教自体が大嫌い)ですが、結婚式はカトリック教会であげましたし、父の葬儀は浄土真宗でやりましたし、家を建てるときはたぶん地鎮祭を神式でやるでしょう。  この点、ものすごい多神教である日本の場合は、一神教である他の国々の概念とは一線を画して考察すべきと感じます。  なにしろ、人生のことに悩んで死にそうになっているときに、自分が相談したのは、精神科医とかカウンセラーであって、近所のお坊さんや神主さんや牧師さんではありませんでしたから。 -------  宗教を持たない人にそれが反映されているか? という疑問には、既に先ほどの例で回答が出てしまいました。  人生の通過儀礼の殆どに、たいてい宗教的な名残が残るのは仕方がないことです。    もちろん、「宗教によらないお葬式」というのもあるにはありますが、それはそれで「無宗教という名の宗教」と定義することもできますから、「宗教の定義」そのものを巡る意味論について議論する必要性が出てきて、ややこしくなります。  例を挙げると、共産主義国では基本的に宗教は御法度ですし、現に宗教を根絶しようとしました。  しかし、結局、「共産主義」という「宗教」に変わっただけでした。  結局、人は、「何か頼るべき正しい考え方」という概念の体系を必要とするのでしょう。  それが、広い意味での「宗教」の役割であり、古今東西の普遍的理念なのかも知れません。  

yuzuhotaru
質問者

お礼

考えてみれば確かに、何も今だけが宗教に関わる残虐な事件が多い訳ではないですよね。今も昔も、宗教は人の心の支えという点では同じだと私も考えます。「頼るべき正しい考え方」を求めているというのは本当にそうだなあと思いました。非常に参考になりました。ありがとうございました!

noname#22222
noname#22222
回答No.2

「苦しい時の神頼み!」-これが、核心を突いているように思います。 世に苦の種がある限り、一部の人々は宗教に救いを求めるでしょう。 仮に、大半の病気が克服されて誰もが天寿を全うするようになれば、自ずと、宗教は消えていくと考えています。 まあ、とんと宗教心なぞありませんが、お墓参り等はします。 これは、社会的存在としての通常の関わり方と思っています。 なお、テロと宗教は基本的に無関係と思います。 米国の独善主義と発展途上国の貧困の相互作用がテロを産み出していると考えています。

yuzuhotaru
質問者

お礼

やはり宗教の役割は人々の精神的な救いに言い尽くされるのでしょうかね。テロと宗教が無関係という考え方は興味深いです。イスラム教の狂的信者の行動でイスラム教自体が堕落していると世間に見られてしまうという信者の話を聞いたときは確かにそうだと感じました(少し外れているかもしれませんが)。もっと勉強してみたいと思いました。ご回答ありがとうございました!

noname#18801
noname#18801
回答No.1

基本は道徳的なことかな 結婚するまではHするなとか 互いに助け合うとか 人に迷惑をかけないとか 次は癒し系かな

yuzuhotaru
質問者

お礼

そうですね。人間として基本的なことを宗教が教えてくれるという言い方も確かにできると思います。ありがとうございました。