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天皇・教えてください

昭和天皇はどういう人物だったんですか? 国民を守るために、逃げなかったと聞きましたがほんとうなんですか?教えてください!

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noname#113260
noname#113260
回答No.4

天皇の戦争責任ですが、戦前の帝国憲法を読めば明らかなように内閣の輔弼を受けて決定を行いますから、戦争をするしない、或いは作戦を立案するなどの決定権はありません。 ドイツのヒトラーであれば、イギリスをやっつけろといえば、すぐにメッサーシュミットがドーバー海峡を越えてロンドンを空爆し、ロシアを叩けと言えば機甲師団はモスクワを目指して進軍しますが、日本の天皇はそういった独裁は不可能です。 悪い言い方ですが、内閣が決めたことを事後承諾的に聞かされ、メクラバンを押すのが天皇であり、内閣の決定に反対すれば「君側の奸をのぞく」として、相談できる側近を入れ替え、それでも言うことを聞かなければ心神耗弱として、然るべき皇族が摂政になって天皇大権を代行します。 事実終戦の時には、終戦を模索した昭和天皇を押し込め、弟の宮を摂政にして戦争を継続させる計画もあったようです。 ただ最近雪印や山一など、巨大企業が破綻する時、最後の社長が「不祥事には関与してませんでした」と号泣する場面がありますが、自分が知らないところで行われた不祥事で会社が傾けば、法律的には免責されても道義的には社長が責任を取るのが当然です。 個人的にはたまたまその時に社長の職にあったのは運が悪いと気の毒に思いますが。 昭和天皇もアメリカと事前の根回しもあったかも知れませんが、憲法をたてに免責を申し立てることも可能でしたが、そうしなかったのは「逃げなかった」と評してもよいと思います。 新聞やテレビで見た範囲ですが、人間的には非常に立派な方と推察します。

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  • apple-man
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回答No.7

>日本の軍には主に昭和天皇が指示したんですか? 憲法上は統帥権と言って、裕仁天皇が 日本軍の最高司令官ということだったのですが、 226事件あたらりから軍部の独走が 始まっていまいした。陛下が本当に 全権を掌握していたら皇居が反乱軍に 包囲されるはずなんかなかったんです。  

  • netcatme
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回答No.6

天皇家は日清戦争、日露戦争、第二次世界大戦の全てに反対の意向を一度は婉曲的に示しています。しかし、明治は藩閥政治から始まり、あまり天皇の発言の強制力はなかったと言えます。天皇の「御聖断」は主張が完全に分かれ紛糾した二度しか行われていません。226と降伏のときですね。昭和天皇になると、イギリスの立憲君主に影響を受け政治に口出しするのは避けていたとも言われます。  昭和天皇が最も恐れていたことは、日本が植民地となり独立国家ではなくなることではなかったかと思います。多くの人がその立場になれば、それさえ避けられれば命ぐらいくれてやるという気持ちにはなる気がします。ただ、日本が植民地化することがないことが確実になると、保身を考えるようになった様子があります。戦争裁判のときに呼ばれたら自分の責任を逃れるような発言の意志があったという噂が天皇の側近付近から聞かれたそうです。  人間的には見たり聞いたりした感じは、穏やかな博物学者という雰囲気ですが。

  • ss79
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回答No.5

天皇制は当時、国の根元をなすものとされていました。 ポツダム宣言で無条件降伏を迫られた時、時の上層部が最後まで執着したのが国体の護持すなわち天皇制の維持で、このため受諾が遅れ原爆投下の口実を与えソ連の参戦で万策つき降伏したのです。 従って多くの非戦闘員の死については責任を感じて当然です。 それを率直に認めて発言されたのであれば昭和天皇は立派だと思います。 天皇制は国民統治の手段として利用されただけですが、当時まだ神様(現人神)であり、思想的支柱でしたからこれを裁判にかけるなどすれば国民的反乱が起こる可能性がありました。 連合国は平和裡の占領を望んでおり、騒動を避ける為天皇制の存続を許したのです。 軍部との関係は天皇は大元帥陛下として軍部を指揮出来る立場でしたが、立憲君主制の立場はよく守られたと思います。 当時軍服だけを着用されていましたし、皇族もいづれも軍籍につかれていました。

  • sokrates
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回答No.3

木戸幸一だったかな、侍従長か内大臣かあたりが、天皇存続に向けていろいろやってたらしいです。 「人間宣言」もこの辺からの案だとか。 今、昭和天皇に関する資料整理を宮内庁が進めているので、数年から数十年後にはいろいろな資料が公開されると思います。全ては公開されないと思いますが。 ロシアの映画で、独裁者シリーズで日本の昭和天皇を主人公にした敗戦から人間宣言にいたるまでの話を映画化したものができたそうです。 日本でも公開されるかもしれません。 この映画もドキュメンタリー形式なので、参考になるかも。

  • ysk26
  • ベストアンサー率36% (135/367)
回答No.2

No.1さんのおっしゃるような話はあちこちで言われていますし、そもそもマッカーサーの回顧録にも書いてあるようですから(私は読んだことありませんが)、おそらくそういう趣旨の発言があったのだろうと思います。 ただ、政治の世界の話ですから、本当に文字通りの意味をもった発言であったかどうかはわかりません。マッカーサーが天皇の戦争責任を追及するつもりがあまりないことがわかっていたうえでの発言ということも考えられます。今だって男系天皇が途絶えるかもといって大騒ぎしているくらいなのに、男系どころか神様と考えられていた天皇陛下が捕まえられて処刑されるような現実的可能性が万が一にもあったら、日本政府はそんなことを絶対に認めなかっただろうし。 そもそもこの発言も、「国民を守るために逃げなかった」というと何となく美談のように聞こえますが(事実、マッカーサーもこれを聞いていたく感動したと回顧録に書いているそうですが)、自分の責任において戦争を起こして自国民や他国民を何十万という単位で死なせてしまった最高責任者の言葉としては、ごく当たり前のことを言っているだけの発言にすぎないと私は思います。戦争で亡くなった人たちにとってみれば、「国民を守るために…」どころの話ではありません。

numruo
質問者

補足

ありがとうございます。 >>自分の責任において戦争を起こして自国民や他国民を何十万という単位で死なせてしまった すいません歴史詳しくなくて、わからないのですが、天皇はどのような戦争をしたのですか?日本の軍には主に昭和天皇が指示したんですか?

  • Tsan
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回答No.1

聞いたところによると 昭和20年の終戦後、進駐軍としてやってきたマッカーサー元帥との会談において、 マッカーサー元帥は陛下が命乞いをしてきたらどうしようか考えていたら、責任はすべて自分にあるから私の命の代わりに日本国民を罰しないで欲しいみたいなことを言われたようです。

numruo
質問者

補足

ありがとうございます。私もそれは聞いたことあります。でも それは本当の話なんですか・・・?

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