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ドイツ、ヴィルヘルム2世

ヴィルヘルム2世は社会主義者鎮圧法を廃止して、社会民主党を結成して、社会主義を推し進めようとしたのですか?

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  • ベストアンサー
  • been
  • ベストアンサー率39% (490/1243)
回答No.1

社会主義を支持する絶対君主など存在しません。 当時のドイツは労働者と資本家の対立が最も先鋭で、世界最初の社会主義国家が誕生するとすればそれはドイツだ、と考えられるまでに革命を求める労働者のエネルギーが高まっていました。このような現実を理解したヴィルヘルムは、弾圧一辺倒ではやがては労働者の不満が爆発し革命が成功してしまうと考え、革命を骨抜きにする方策を模索することにしました。 一口に社会主義者といっても、戦闘的で革命のためなら手段を選ばないマルクス主義者からイギリスのフーリエ主義の流れを汲む人道的社会主義者までいろいろいます。社会民主党は、多くの社会主義者の結集という名目により最も恐ろしいマルクス主義者の影響力を殺ぐ目的で組織された政党です。 つまり、ヴィルヘルムの政策は、従来の絶対主義をそのまま維持することができなくなった現実を受け入れると同時に、社会主義者の活動を制御可能な範囲に押えることを狙ったものだったのです。

その他の回答 (1)

  • pyon1956
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回答No.2

その後の歴史が示すように、社会主義者の一部を容認して、実際は社会主義を防ぐという戦略です。この点 ANo.1の方のおっしゃるとおりです。 社会主義者というものの元になるのは平等の考えですから、本質的に皇帝・王などというものと相容れるわけがないのですが、政治のなりゆき、というものは原理原則だけで行われてはいないので、この点で妥協が可能であった、ということでしょう。 ちなみにフーリエ主義はフランスで、イギリスはオーウェン主義やフェビアン主義です、念のため。 当時のドイツの社会主義者の多数派はベルンシュタイン(ちなみにこの人マルクスの弟子なのですが)などの、後に修正主義と呼ばれるひとたちで、ほかに無政府主義(このころは社会主義とはっきり区別されていない)、左派(のちにドイツ共産党になっていく流れ)キリスト教的社会主義者などもろもろの潮流がありました。しかし彼らを一からげにして弾圧すれば、社会主義者と皇帝は相容れないもの、となれば皇帝を倒せ、という点で全社会主義者とその影響下にある労働者が一致団結してたたかうことになってしまいます。それくらいなら、ということでしょうね。実際社会民主党(共産党というのはなかったので、事実上社会主義のあらゆる流れを含む)の多数派はいわゆる労働貴族化して思惑通りになったわけですから。

benefactor_geniu
質問者

お礼

返信ありがとうございました。 お二人ともとてもわかりやすかったです。

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