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社会民主党の結成禁止理由について(日本近代思想史)

日本近代思想史について質問です。1901年の安倍磯雄らの社会民主党の結成は、『行動綱領』の(1)国民投票制、(2)貴族院廃止、(3)軍備縮小などを取り下げれば結成を許されたそうですが、なぜこの3つがそこまで問題視されたのか教えてください。よろしくお願いします。

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回答No.1

簡単に言えば、(1)と(2)は、明治憲法下の天皇主権の理念に反するから、認められる余地がないのです。 (3)は、軍事大国を目指す国策に反するから、問題視されるのです。 当時の帝国議会の位置付けは、天皇の立法権の協賛期間であり、間接民主主義の基盤は脆弱でした。そこに直接民主主義を反映する国民投票などは許されません。極端な話、天皇制廃止のような提案が国民の支持を得たなら、国体の否定につながることも懸念されるので、国民投票制度には、とんでもない危険思想が内包すると見なされたわけです。 また、帝国議会での衆議院は、制限選挙で選出された議員で構成する議院ではあるものの、形式上は国民の意思を代表するものでした。これに対して貴族院は、天皇を守る皇族・貴族や国の功労者で構成される議院であり、民意を背景にする衆議院を牽制する役割がありました。 つまり、貴族院を廃止するということは、民意を重視して天皇主権を弱める結果につながるため、絶対に認められないのです。 それと、当時は日清戦争に勝利してから6年後で、次の日露戦争が始まる3年前にあたり、日本が軍事的にも欧米列強と立場を占めるべく、軍備拡張に努めていたという時代背景があります。軍備縮小は、この国策を真っ向から否定するものなので、これを言論で訴えただけでも、重大な問題になるのです。 軍備縮小の目的が、外国との戦争に負けた混乱に乗じて革命を起こし、人民主権を確立することにあるのではないかという疑念も生じるわけです。

tetora_17j
質問者

お礼

大変詳しい解説で、よく理解できました! ありがとうございました。m(_ _)m

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