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世界史についてです。
アウグスブルグの和議、ナントの勅令、ウェストファリア条約(1648)年についてなのですが、どの条約が一番寛大といえるのでしょうか?? アウグスブルグは国王にのみ宗教をきめる権利があったのはわかっているのですが、ナントの勅令、ウエストファリア条約もやはり、国王だけが、権力を持ってたのですか?? 初歩的な質問でもうしわけありません。
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アウグスブルクの和議(宗教和議)は、ルター派かカトリック派かを領主または国王が選択できるわけですが、ここではカルヴァン派が認められていませんでした。カルヴァン派は後に資本主義への出発点となる発想を持った思想でしたので、ここからまた戦いが始まるわけです。 ナントの勅令については、フランスのブルボン王朝を開いたアンリ4世が出したもので、ユグノー(フランスでのカルヴァン派の名称)戦争を終結させるために、自ら新教から旧教(カトリック)に改宗し、さらにこの勅令でユグノーにも大幅な信仰の自由を認めたものでした。 ウェストファリア条約は、ドイツ三十年戦争の終結の条約で、最初宗教対立から始まった戦争でしたが、途中から政治色が濃くなり、新教国なのに旧教国の支援をしたりしたため、単なる国際戦争となったものです。結局は神聖ローマ帝国の衰退を促進させることになるわけですが、ここでは、ルター派に加えてカルヴァン派も認められています。さらにオランダやスイスの独立が国際承認されて、神聖ローマ帝国から独立を達成しています。この戦争のきっかけは、結局はアウグスブルクの和議が原因でしたから、これらを考えると、規模は小さくても「ナントの勅令」が一番寛大だといえるのではないでしょうか。 国王だけが権力を・・という視点からみても、国王自ら旧教国であるフランスの信仰にあわせて旧教に改宗し、しかも国内の新教徒(ユグノー)にも信仰の自由を認めたという点で、「ナントの勅令」が一番寛大でしょうね。ウェストファリア条約後は、神聖ローマ帝国から独立した各国が自由を獲得したという点では、皇帝の権力は落ちたといえるでしょう。
お礼
遅くなり申し訳ありません。 本当にわからいやすい回答をありがとうございました。