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731部隊の所業を思う時。。(もっと広い視野を下さい!) 

ちょっと変なタイトルですが、どこのカテゴリーに質問して良いのかわからずこちらに書きます。 731部隊の悪行の数々をご存知でしょうか。 人間がここまで人非人になれるのか、と言った恐ろしい生体実験を行ってきました。 彼らの所業を少しでも知る人ならば、これをどう捉えるでしょうか。あなたでしたら? 吐き気、嫌悪を覚え、絶対に許せない気持ちになると思うんです。 しかし。。。 今日の私たちを支えている医療は、この生体実験を礎に発達してきた面もきっとあると思うのです。 ということは、我々が今日の医療の恩恵を受けていると言う事は、彼らの実験のおかげであると言えなくもないではないですか! これでも731の所業を非難する資格があるのでしょうか。 もちろん外道にも勝る悪行を非難することはできますが、普通なら苦しんで死ぬところを、彼らの実験のおかげで医療が進歩して、回復するケースも増えてるかもしれません。 医学なんか進歩しなくてもよかったから、731のような実験は絶対するべきでなかった、という勇気はありません。しかし、こんな非人道的な悪魔の所業を肯定する気持ちもさらさらありません!! もちろん医療の進歩はいろんな要素があるので、私が言った例は極端だとしても、その一端をになっている事は確かです。現に731の医師どもが現役で国立大の医学部などで権威を振るっている事もあるのですから。また、731時代の研究(?)結果を戦後、論文として提出している医師もいます(殺した人間を「実験動物」などと書き換えて)。 長くなりましたが、皆様の考えを伺いたいです。

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noname#10410
noname#10410
回答No.12

生体実験は事実として、また個別的具体的事実は不明としても、一般論として回答しますね。おそらく質問の趣旨でもあるのでしょうし。 私の考えということで、失礼します。 731のしたことは悪でした。動機の部分は知りませんが、医学に貢献して世界中に成果を還元しようとしていたのでしょうか? しかし、仮に世界中への貢献を考えていても、少なくとも行為は悪です。 当時は戦争だからという議論が流行していますが、当時がおかしかったのであって、泥棒も人殺しも道徳が出来て以来ずっと犯罪です。ただ60年前は、帝国主義も国際法で認められていたとか、当時の情勢はそうかもしれません。「当時としては」正しかった、だから後世の基準で批判しては行けない、という議論ももっともそうでありながら、どこか個人的には偏りを感じます。当時は泥棒は普通だったから後世の人が批判するのはおかしいという議論に聞こえます。そうじゃなくて、「当時は泥棒が普通だったほど恐ろしい異常な時代だった」という評価が適当に思います。 731部隊の持ち帰った知識を正統的な医学への貢献に用いたのは善です。でも、それは731の功績ではなくて、部隊の残した負の財産をまともに(結果的にしろ意図的にしろ)運用できたということだと思います。でも、731自体が善をなしたというのとは別だと思います。731が731としてやった行為は悪でしかないと思います。 それを放棄する必要はとくにないと思います。また知識はものと違って返すということも出来ないです。 間違いは間違いとして批判して良いと思います。理由は上に書いてある通りです。人道的には負であるのに、技術的に有用であるなどの遺産はたくさんあると思いますが、それを有効に活用することはむしろ後世の人間の責任ですが、その負を残した人々の功績に感謝するのとはまた違うと思います。たしかに、彼らの業績ではあることは動きませんが、それは+の評価を持って迎えることではないと思いますし、また後世の人が引け目を感じることでもないと思います。とは申せ、難しい問題ですね。

Ryu831
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私が「・・かもしれない」と思っている考え方を後押ししてくださったような気がして、とても参考になったというか、納得できる内容でした! 特に、「間違いは間違いとして批判して良いと思います。」と言ってくださったのは、非常に心強かったです。 私たちが現在、様々な恩恵を受けて生きていることに対しては、過去の歴史のいろいろな出来事が密接に絡んできていると思います。 そこで、恩を受けていると言って、過去の悪行を批難できないとなると、あらゆる事に対して批判できなくなってしまいますものね。 ありがとうございました!

その他の回答 (12)

  • Tomoka000
  • ベストアンサー率28% (37/129)
回答No.2

731・・・。中学1年の時に担任が授業で教えてくれましたね。。。さすがに本を読んだときはもう寝れなくなりましたね。それもあの石井の実家の近くの学校だったものだから、尚更に怖さが増しましたが(涙)  人体実験をしていたのは731に限らず色々な部隊が携わっていましたよね。私は同じ日本人として恥というよりも恐怖を覚えました。自分もそれをする可能性を秘めている同じ人間なんだと。。。  確かに人体実験で得たモノはたくさん残っているんだと思います。しかし、その中には憎しみも悲しみも含まれている。戦争という言葉の裏で、自分たちの利益の為に人は動くという事。  悪行に関してはもう私には何も言えない。これは全世界の人達の利益になっている事がある事は事実ですからね。人間だから悪いとも動物だから良いとも言えないですよね。  この問題に答えなんてないんでしょうし、だったら自分が納得した答えに自分は行動して行くしか出来ないように私は思います。  すいません、未熟者で・・。こんな意見しか言えないです。

Ryu831
質問者

お礼

さっそくのご回答ありがとうございます。 未熟者だなんてとんでもないです、考えるヒントを下さり感謝しています。 結局は自分自身でどう捉えるかの問題ですからね。 ありがとうございました!

  • ststeps
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回答No.1

何が聞きたいのか掴めないところがあります。 731と医学の発展は結果論で、医学の発展のために731が存在していたわけではありません。 非道な行いは731ではなく、南京でも慰安婦でもナチでも戦争には付き物です。 戦争による医学の発展は近代史ではWW1とWW2で顕著でその功績は計り知りません。 731の歴史を学びその過ちを繰り返さないようにするのはいい事です。 731による医学の発展は結果論で、これから先戦争その他で同じことをするのは、国際法が確立してしまった現在では無理です。 日本軍にしてもドイツ軍にしても、絶対的で崇拝の対象となる存在が人間の悪の部分を表に出させたもので、悪行を繰り返さないために世界の民主国家化を望むというのはある種の答えかとも思います。 以上を踏まえまして、ポイントはどこだったのでしょうか?

Ryu831
質問者

補足

回答ありがとうございます。曖昧な文ですみませんでした。 731は極端な例として出しましたが、要するに、現在我々は様々な場面で医療の恩恵を受けています。結果論であれ、今の医療はこういう犠牲の上に成り立っていると考えると、過去のあらゆる非人道的な生体実験などを非難できるのか、、と言うことです。 そんな恩恵を受けられるのは、戦争によって生体実験が行われ、それによって医療が進歩したという事実もあるからです。 別に医療だけでなく、身の回りの電化製品だって、殺人兵器の研究の賜物かもしれないのですが。 人体実験がひどい、憎いと言いながらも、「お前はその恩恵を受けているのだ」と考えると混乱してしまいます。 ですから、どういう考えをすれば、気持ちの整理ができるのか問いたかったのです。