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幕末の世界観
日本に黒船が来た時、幕府はイギリスじゃないんだろって言う思いはなかったのですか?現在世界がアメリカアメリカと言う様に、あの頃は世界をイギリスイギリスと日本はイギリスをあがめてなかったのですか?
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確かにアメリカからぺりー艦隊が来ることは予想されていましたね。ペリー来航に関する細かな情報がオランダからもたらされていたからである。 その最初は、天保15(1844)年オランダの国王ウィレム(2)世からの、幕府宛の親書である。1844年といえば、ペリー来航に遡ること9年である。この二年前、1842年にはアジアを震撼させる事件が起きた。清とイギリスとの阿片戦争だが、結果はイギリスの勝利に終わった。これで、従来のアジア情勢は急変するわけだが、その様子を、オランダ国王が親書として幕府に伝えてきていたのだ。内容は『イギリスを始めとする諸外国は(日本に対して)鎖国を終わらせ、通商を求めに来るだろう。そのための異国船が、続々と日本を訪れるだろう』といったものだった。この予告通り、二年後、にアメリカからの使節・ビットルが来航するわけである。 続いて、より精度の高い『和蘭(オランダ)風説書』が幕府に届けられるようになった。これは、1837年に起きたモリソン号事件以降、長崎奉行がオランダに対して求めて得られるようになったもので、風説とはニュースといった意味だ。 当時の世界観といった意味から言えば北海道のすぐ上に『極東を征服する(ウラジボストーク)』なんて町をつくって南下して来るロシアは怖かったと思いますよ。だからこそ、早く改革をして西欧と同等の力をつけなければと思ったんでしょうから。 それから、勝海舟などは、イギリスとフランスが対立していることを知っていたみたいで牽制させたりもしていたみたいです。
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- adaypajimy
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黒船が来たことは実は日本は知っていたんです。 NO1さんの言っているようにオランダと貿易をやっていたので、アメリカが軍艦で来る事は、日本は実は把握していたと言われています。 また、黒船と話をするときに使用したのはオランダ語でした。 前々から外国の力の強さくらいは理解していました。更に薩英戦争などをやって、外国の力をみせつけられて、積極的に外国の力をとりいれて行くようになった…という感じでしょうか。
- kotaechan
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崇めてはいません。むしろ、一番警戒していました。中学生の時に習ったと思いますが、幕府はオランダに対して「風説書」という書類を提出させていたので、世界の動きについてはだいたい把握していました。 だから1825年に外国船打ち払い令を出した後、アヘン戦争を知るやいなや、外国船打ち払い令を撤廃したんです。