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ウィーン体制のほころび
原因はラテンアメリカの独立、ギリシアの独立が あると習ったんですが、なぜそれがウィーン体制を 壊す原因になったのかいまいちわかりません。。 どうしてでしょうか??
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まずウィーン体制とはどんな体制であったかを思い出してください。 ウィーン会議は「正統主義」を基本原則に掲げていました。 正統主義とは、ヨーロッパをフランス革命前の状態に戻そうとする理念、すなわちアンシャン・レジームの復活を目指す理念の事です。 それはすなわち、自由主義運動を抑圧し、王や貴族と言った一握りのものが、大勢の国民を支配し続けることです。 (平たく言えば、政治は俺たち貴族がやるからお前ら一般ピープルは黙ってろ、ということ) その理念のもと成立した政治体制がウィーン体制です。 そういうアンシャン・レジームのような旧制度を打開しようと、フランス革命が起き、その革命下で自由主義・国民主義の意識が芽生えました。 ですからウイーン体制は時代の流れに全く逆行する動きだったのです。 当然、すぐにこの体制に対する反抗運動が起こります。 ラテンアメリカの独立は、スペインやポルトガルに対する反抗であって、彼らの自由主義運動、独立運動を結局は防ぐ事ができず、これがウィーン体制が崩れ始める事を意味しました。 要は、市民運動などを抑圧、弾圧してゆこうとする政治体制(ウィーン体制)が、それを維持しきれなくなった。言い換えれば、市民階級の成長が大きくなり、それを防ぎきれなくなってこの体制が徐々に崩壊してゆくのです。
お礼
ありがとうございました。。 とてもわかりやすかったです。。