こんにちは。
何か哲学的な意味も含まれているのでしょうか、はたまた読んで言葉の通りなのか、ご質問の文章だけでは、ちょっと理解の不十分な部分もあるんですが、心理学のカテに来られたということですから、一般論的な考え方でゆきますと、以下のようになるのではないかと思います。
まず、精神や自我なども含め、「心」とはすべからく「脳の反応」です。その中で、この場合「精神」とは、特に「より高次な心の反応」のことを指しているのではないでしょうか。ですから、取り敢えずここでは、「精神」とは「脳の反応」、即ち「心の一部」ということになります。
それが「身体の世界」と抵抗し合っているということですが、人間の身体に脳はひとつしかないのですから、それもこれも、やはり脳の中に現れてくれなければ、我々はどうやってもその対立を認識することはできませんよね。ですから、この場合「身体の世界」とは肉体そのものではなく、「身体の反応が脳に持ち込まれたもの」ということになります。
そして「身体の反応」とは、例えば、痛い、苦しい、心地良い、などといった具体的なものです。そう申し上げればもうお分かりと思いますが、それを象徴するものをひっくるめて「欲求」と呼びます。どうしてそう呼ぶのかかと言うならば、それら全ては、「食欲」や「性欲」など、生物が生存・存続を実現するために必要不可欠な機構に司られた本能的な反応だからです。これが脳に認識されたものが「身体の世界」です。そして、脳に於けるこれらの立場はいったいどのようなものかと申し上げますと、それは至って根源的な、「外界・物質世界との繋がり」ということになると思います。
ということですから、「精神」が「心」即ち「脳の反応全体」の中で、そのような「身体の世界」どのように対立しているかは、もはや言うまでもありませんね。この場合「精神」は、「より高次な心の反応」として、その抑制に回らなければならないはずです。
ですから、我々の「脳全体の営み」の中で、「身体」とは物質世界に対する直接的な反応を指し、「精神」とは文化的・社会的認識なども含めた、より高次で複雑な反応を指すということになると思います。
そして一般的には、この対立を「苦悩」と呼びます。つまり「悩み」というのは、脳の中で「心」というものをふたつに分けてしまった、人類に課せられた宿命ということになりますね。
お礼
ありがとうございました。よくわかりました。