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精神と心身について

精神と身体一身の世界は抵抗しあっていると聞いたのですが、ここで言っている心身の意味がよわからないのです。 心身ということは心と体ですけど、精神と心との区別はなんなのでしょうか。 あいまいな質問で申し訳ないのですが、そういうのに詳しい方いたらお願いいたします。

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  • ruehas
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回答No.5

こんにちは。 何か哲学的な意味も含まれているのでしょうか、はたまた読んで言葉の通りなのか、ご質問の文章だけでは、ちょっと理解の不十分な部分もあるんですが、心理学のカテに来られたということですから、一般論的な考え方でゆきますと、以下のようになるのではないかと思います。 まず、精神や自我なども含め、「心」とはすべからく「脳の反応」です。その中で、この場合「精神」とは、特に「より高次な心の反応」のことを指しているのではないでしょうか。ですから、取り敢えずここでは、「精神」とは「脳の反応」、即ち「心の一部」ということになります。 それが「身体の世界」と抵抗し合っているということですが、人間の身体に脳はひとつしかないのですから、それもこれも、やはり脳の中に現れてくれなければ、我々はどうやってもその対立を認識することはできませんよね。ですから、この場合「身体の世界」とは肉体そのものではなく、「身体の反応が脳に持ち込まれたもの」ということになります。 そして「身体の反応」とは、例えば、痛い、苦しい、心地良い、などといった具体的なものです。そう申し上げればもうお分かりと思いますが、それを象徴するものをひっくるめて「欲求」と呼びます。どうしてそう呼ぶのかかと言うならば、それら全ては、「食欲」や「性欲」など、生物が生存・存続を実現するために必要不可欠な機構に司られた本能的な反応だからです。これが脳に認識されたものが「身体の世界」です。そして、脳に於けるこれらの立場はいったいどのようなものかと申し上げますと、それは至って根源的な、「外界・物質世界との繋がり」ということになると思います。 ということですから、「精神」が「心」即ち「脳の反応全体」の中で、そのような「身体の世界」どのように対立しているかは、もはや言うまでもありませんね。この場合「精神」は、「より高次な心の反応」として、その抑制に回らなければならないはずです。 ですから、我々の「脳全体の営み」の中で、「身体」とは物質世界に対する直接的な反応を指し、「精神」とは文化的・社会的認識なども含めた、より高次で複雑な反応を指すということになると思います。 そして一般的には、この対立を「苦悩」と呼びます。つまり「悩み」というのは、脳の中で「心」というものをふたつに分けてしまった、人類に課せられた宿命ということになりますね。

tomatooow
質問者

お礼

ありがとうございました。よくわかりました。

その他の回答 (4)

  • kobe-kun
  • ベストアンサー率53% (53/100)
回答No.4

> 精神と心との区別はなんなのでしょうか。 「精神」も「心」も、その意味の範囲は広く、どちらも「心のはたらき」を言いますが、 今回のご質問のように、『 精神と身体一身の世界は抵抗しあっている 』と、対比して、 比べるような場合は、それぞれ個別の、狭い意味として使われるようですね。 Goo辞書「 せいしん 1 【精神】 」 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C0%BA%BF%C0&jn.x=38&jn.y=11&jn=%B9%F1%B8%EC&kind=jn&mode=1 Goo辞書「 こころ 3 2  【心】 」 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BF%B4&kind=jn&mode=1&base=1&row=1 例えば、今回の場合なら、 ---------------------------   「 精神 」= 思想 や 意識  や 思考。   「 心 」= 感情 や 無意識 や 本能。 --------------------------- のことだと、考えれば良いのでしょうか。 自身の頭で考えている意識(精神)と、実際に行う行動(感情)とが、まったく違った 状況になると言うのも、誰しも経験しているすることですよね。 我々が生活している上の、「感情や行動のほとんど」は、【無意識】と言うものにより、 支配されてるとも言えますので、そこに、いろいろな葛藤が生まれてくるのでしょうね。 少し「仏教的」で、しかも「古くて」「リンク切れ」ばかりになっている見たいですが、 「感覚」や「思考」や「無意識」に付いて、書かれた記事がありましたので、 下に、紹介しておきましょう。 Googleグループ「 『 五感 』で感じるもの 。(正しい祈り) 」 http://groups.google.co.jp/groups?q=%E4%BA%94%E6%84%9F&hl=ja&lr=&c2coff=1&selm=3BDBCA40.7B7B371%40mx2.wt.tiki.ne.jp&rnum=1 http://www.google.co.jp/grphp

tomatooow
質問者

お礼

ありがとうございました。

noname#15238
noname#15238
回答No.3

専門家では有りませんので、参考程度に。 最初は、精神と身体の問題ですね。 例によって、赤い林檎に、登場していただきます。 赤い林檎が見えることは、身体の感官の作用です、ある種の周波数の光が、網膜を通じて、脳の中に物理的刺激として、作用します。此処までを身体というようです。 それに対して、林檎だと知ること、赤いと思うこと、食べたいと思う、物理的に還元出来ないこれらの作用を心と表現するのではないでしょうか。 尤も、脳内の刺激である「パルス」が物理的エネルギーではないとの説明も有り難しいのですが。 質問の文面からはっきりはしませんが、物理面と非物理面の対立かもしれません。 もつと単純に、身体の自己保存と自己複製の本能と精神の自己実現の対立かもしれませんが。 精神と心についてですが、そもそも心とは何かというところから難しいのですが、心は「もの」ではないようです。脳の状態と表現した方がよいようです。 私見ですが、脳の状態のうち、受動的な心と能動的な精神といった感じで区別が可能な気もしますが、全く自信なし。

tomatooow
質問者

お礼

あちがとうございました。

noname#11321
noname#11321
回答No.2

精神と心は区別されないのではないでしょうか‥。 私は同義と考えていますが‥。

tomatooow
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • junsato
  • ベストアンサー率12% (84/657)
回答No.1

人の真ん中にあるのが「精神」「人格」その周りにあるものが「霊」・「魂」・「心」など 「精神」「人格」は分析できるが、その周りにまとわりつくものは分析できない。 人の基本が「精神」「人格」 生きる基本が「霊」・「魂」・「心」 と昔、大学生の時代に何かの講義で習ったことがあった。 ただし、この回答の自信は「まったくなし」。

tomatooow
質問者

お礼

ありがとうございました。