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攻撃性と外部身体の関係
外部身体と言う表現が正確かどうかわかりませんが、一般的に車を運転する場合、攻撃性が表れるのではと感じています。 私はよく自転車に乗るのですが、先週も奈良で、強烈な仕打ちを二発食らいました。 そのこと自体は、いつものことで気にはしないのですが(嘘)、邪魔な事は判りますが、車と言う外部身体が無ければ、普通は出来ない行為だと思います。 たとえば、混んでいる駅のホームで、邪魔な人を、線路側に押し出すようなことですから。 心理学では攻撃性についての研究はありましたが、「外部身体」の取扱は見つかりませんでした。 哲学における心身問題とは少し違うかもしれませんが、車だけでなく道具等も含めた「外部身体」と「心」の関係について、参考になる資料・ご意見、お願いします。 この質問は、二輪車と四輪車の道路の使用権に関する事柄とは全く無関係です。
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車だと顔が見えない(まるっきり見えないわけではないが ついたて越しの感覚)ので 人はついつい横暴になるみたいですね。 ネットの掲示板は匿名だから 誹謗中傷が絶えないのと似ているかもしれません。 また車は『速さ』という力を持っていますよね。 足が早くなる為には 練習して努力しないとダメですが 車は努力なしに アクセルを踏むだけで速さを手に入れることが出来ます。 威嚇してくる車は 何か心にコンプレックスを抱えたドライバーが 運転している可能性があると思います。 顔が見えない車の匿名性を利用して 丸腰の自転車に対して 鉄の鎧で武装した自分を幅寄せしてくる行為は いじめられっこののび太が ドラえもんの道具を使って ジャイアンを前に気が大きくなっているのと同じ心理ではないでしょうか。 見ず知らずの相手にガンを飛ばしてくるのは 自分の弱さを隠そうとしているからだと思います。
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- kabos
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♯2です。 ごく一般のひとが ごく日常的に 自分より大きな力を 簡単に手に出来るものといえば…? 車・バイクといった乗り物以外にあまり思いつきません。 自分の手足として 自分の体の代わりのように自由に操れる大きな力(=速さ) そういう点からして 車を運転している状態というのは ある意味非日常的なものであって その人の日常のモラルやマナーが そのまま生かされないということでしょうか。 本性がでる。というのは よくスピード狂の人が「車に乗ると人格が変わる」 といわれるあれと同じ事ですよね。 なぜ車に乗ると一部の人は攻撃的になるのか。 もしかしたら交通安全に役立つテーマかもしれません。 何か答えをお持ちの方がいたら ぜひ私にも聞かせてください。
お礼
再度のご回答有難うございます。 >交通安全に役立つテーマ 確かにその様に見られても当然かもしれません(汗。 車に乗って本性が出るというのは、性善説と性悪説の二元論に拘るわけではないのですが、どちらかというと、性悪説の強調になるような気がします。 そうではなくて、車という外部身体が、心に、攻撃性を付け加える可能性は無いのだろうか? つまり、どちらかといえば、性善説の肩を持ちたいという下心が、この質問にあるのですが、いまどき二元論もはやりませんので、ツイツイ表現が曖昧で、申し訳ありません。 外部身体という表現は、マルクスの非有機的身体(道具)から借りたのですが、現在的に、車・家・財・権力といった、自分自身を外部に拡張した身体というようなことを想定していました、車が一番説明しやすいかと思いましたが、別の要素も有り、適当ではなかったかもしれません。 ただこの時期、武器を取り上げると過激になりそうですが、たとえば、素手で人を殺す、ピストルで人を殺す、ミサイルの発射ボタンを押すのでは、心に対してどう違うのか?わぁ怖いですね。怖いですね。怖いですね。 哲学にも心理学にもならないのでしょうか?
- ac-sakura
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専門家ではないので大したことは言えませんが、 何か強い武器、力を持ったら、 その力をひけらかしたり、試したりしたくなるものだと思います。 それに、自分より力のない人のことはあまり考えなくなるのではないでしょうか? 人間だって小さい虫のことはほとんど可哀想などと思わずに平気で殺せてしまったりしますから。
お礼
早速のご回答有難うございます。 なるほど、そう言えば、最近、蚊を殺しても平気になりましたね。 やっぱり車は、戦車ですか、自転車も槍ぐらいの威力があるかもしれませんね。ツイツイ、スピードを出しすぎてしまいます。
お礼
ご回答有難うございます。 私も、今まで同じように考えていて、さらに、出掛けに些細な喧嘩でもしたのかもしれないし、判らないことはあまり気にしていなかったのですが、車を運転することにより攻撃性が出るのではなく、本性が出るというような意見があることを聞き、気になった次第です。 匿名性の問題は確かに有ります、興味深いことですが、今回は、外部身体としての「『速さ』という力」こちらに絞って考えたいところです。 通勤ラッシュの朝の駅は、邪魔な人が一杯ですが、ある種の人意外は、攻撃的にはならないと思います。 登山道ではのぼりを優先、レディファスト等、弱いものを強いものが気遣うのが普通のような気がしますが、普通の人が車に乗ると、なぜあのようなことができるのか、危険性の無知だけではないような気がするのですが。