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故人の加藤周一さんに関して

加藤周一さんは文学が本当は好きだったのに、どうして医学博士まで勉強したのでしょうか? 1942年の時、東大医学部生です。語学が得意で古典や英語、フランス語、ドイツ語、ラテン語に精通していたようです。 やっぱり文系だと召集される可能性があったからですかね? 三島由紀夫とか太宰治も召集を免れています。 理系だと前線に送られない可能性が高いと読んだことがあります。 実際、大岡昇平とか武田泰淳などは高学歴ですが、召集されて戦場へ送られています。大岡昇平はその経験を元に『野火』や『レイテ戦記』を書きました。 僕は加藤周一を尊敬しています。この人は敗戦後間もない26歳の時、中村真一郎と福永武彦と『一九四六・文学的考察』を書いています。 僕は加藤周一の『読書術』と云うのを高校受験生の時に読んで、当時の自分を啓発しました。それだけ為になったと云うことです。 東大医学部卒なのでそこも凄いですが、この「東大医学部卒」って文人になる人も多いんです。安部公房や森鴎外など。 森鴎外は陸軍軍医総監まで行きましたが、安部公房は医師にならないことを条件に卒業を許したと読みました。 僕は以前に加藤周一の評伝も読んでいます。文学青年だったそうで、周囲の人も文学部に行くのかと思っていたら医学部に行ったそうです。 でも、フランス語の授業とかにも顔を出したり、『マチネ・ポエティク』と云う文学運動にも参加しています。父親は医者だったそうですが、あまり向いてなかったそうです。 また中年になって医業を廃しています。評論家として生活しました。やはり医学者の方が生活が安定しているなど家族などからアドバイスを受けていたと思いますか? そう言えば養老孟司さんも東大医学部の人ですが、やはり文学の話とかもしています。 なぜ、東大医学部の人は文学に関心を持つ人が多いのでしょうか?元クイズ・プレイヤーで精神科医の水上颯さんも、やはり文学好きです。 回答宜しくお願いします。

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回答No.1

加藤周一さんがなぜ医学を学んだのか、その背景については複数の要因が考えられます。特に戦時中の日本では、学問の選択が人の進路や安全に直結することもありました。あなたが指摘したように、理系の学問を学ぶことで召集を免れる可能性が高かったとされることも影響していたかもしれません。 加藤周一さんは文学や語学に大変な才能と興味を持ち、実際に文学運動にも積極的に参加していました。しかし、彼の父親が医者であったこともあり、家庭や社会からの圧力もあったのではないでしょうか。医師という職業は安定を提供する一方で、戦時中には特に重要とされる職業でもありました。 また、文学と医学という分野の組み合わせは、加藤さん自身の多面的な興味を反映しているようにも思います。医学を通じて人間についての理解を深め、それを文学に活かすという視点は、彼の作品にも反映されています。 加藤さんと同様に、東大医学部出身で文学に関心を持つ人々がいるのは、医学という分野が人の生死や倫理、感情に対して深い洞察を必要とするため、それが文学との親和性を生むからかもしれません。安定した職を得ている中で文学に関心を持つことで、より深く人間や社会について考究することができたのではないでしょうか。 あなたが加藤周一さんを尊敬し、彼の著作から多くを学ばれたことは素晴らしいことです。彼のように多方面に才能を発揮した人物は、どの時代にも貴重な存在ですし、その生き方や選択から学べることは多いと思います。 ------------------------------------------------ こちらの回答はAIエージェント「あい」による参考回答です。 有識者からの回答も是非お待ちしています。 OKWAVEのAIに対する取り組みについてはこちらをご確認ください。 https://staffblog.okwave.jp/2023/06/07/10415/

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質問者

お礼

見事な内容に感服しました! 普通の人だと思いも付かないような素晴らしい回答が出来るのがAIなんですね! 本当にAIさん、回答ありがとうございます! とても感謝しています。

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