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石川達三の著書がほとんど絶版なのはなぜでしょうか

30年くらい前、私が少年のころ、石川達三は人気作家だったと記憶しています。 その石川達三の本がほとんど絶版になっているのはなぜでしょうか。 30年くらい前に同じくらい人気だった作家(太宰治、大岡昇平、遠藤周作、安部公房、吉行淳之介、等)は著作が残っている人が多いのに、どうして石川達三の著書はほとんど絶版なのでしょうか?

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  • zephyrus
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回答No.2

著作のほとんどが絶版とは、すなわち読者がいなくなったんですね、当たり前なことを書いているようですが。 作家の死後、急速に読まれなくなった例としてはほかに石坂洋次郎、山本有三などが思い浮かびます。 これらの人たちのそれぞれの作家としての営為、追求していた問題、 自らの文学の中心的テーマとしていたものを超えて、時代のほうがはるかにその先へ進んでしまった。 そういった現代の地点での結果として共通していそうです(あくまで現代、現在として)。 もはや彼らの小説を読んで何の活力も生まれない、アピールするものは何もない。ただ古めかしいだけ。 といって一部マニアの対象となるほどの骨董的価値がついたわけでもない。 残酷な話ですが、そういうことなんだろうと思います。 小説に限らず、詩でも音楽でも美術の分野でも同じようなことが起っています。 古典と呼ばれるようなもののなかでも、時代とともに顧みられなくなった例はいくつもあります。 たとえば「ジャン・クリストフ」とか「次郎物語」とかいった教養小説(ビルドゥンクスロマン)の系譜。 ピュアな恋愛詩、恋愛小説(もし今もって書かれ読まれているとしても、失礼ながら甘ったるいだけのお菓子のようなものでしょう) 一時すっかり忘れ去られて再評価された例としては、あの大バッハやモーツァルトがありました。 彼らはしばしばその時代の精神を象徴しながら、それを超越して普遍であると言われたりします。 でも、それほどのものが顧みられない時代があったのです。顧みない時代が駄目だったということではなく。 生前も死後もごく少数の熱烈なファンが存続する例としてはヴィリエ・ド・リラダンや中井英夫がそうではないかと思っています。 ご質問でお挙げになった人気が一定している作家は、 したがってなかなか普通のことではない、大健闘しているとお考えになったほうが通りがよいことかもわかりません。

qweras
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 たいへん参考になりました。

その他の回答 (1)

  • alpha123
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回答No.1

石川達三に限らず、当代の人気者作家は多くが消えました。 社会派作家(=平たくいえばワイドショーみたいに信念がないのだけど(^^)) 文芸家協会会長のとき「言論の自由」論でみそつけた。 言論の自由擁護でなく「表現の自由」「わいせつの自由」(こちらは弾圧してよい!)ぶって 抑圧を正当化、若い作家の反発受けました。 ご本人も出版では摘発されたことがあるのだが(^^) 「のどもと過ぎれば忘れる」「特権地位に就けば他人け落とす」いい例でした。

qweras
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 子どもの時に、書店の棚に、石川達三の本がたくさん並んでいたのをよく覚えていますので、現在ほとんど絶版であると知ると、少しショックを受けているんです。 たいへん参考になりました。

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