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委員会で議論し尽くしているから国会本会議では何も?
委員会で議論し尽くしているから国会本会議では何も議論する必要がないとか、経営会議で議論し尽くしているから取締役会議では何も発言する必要がない(だから形式的に議事進行するだけでOK、 特に中途半端な役職の人は、発言すべきことがあっても黙っておいた方が無難)とか、そういう慣行は、 日本人のメンタリティ上、どこの組織でも不可避的に、発生してしまうものなのでしょうか?あるいはメンタリティというか、社会構造的にそうなってるんでしょうか?
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「そもそもこの会議は何のためにやるのか」という最重要な「会議の目的」が曖昧になっているからだと考えられます。よくあるのは、事前の根回しなどで事実上決めてしまっておいて、会議は「承認のための形式的な儀式」となっているケースです。要するに会議が実質的な機能を失って「そんな事は聞いていない」などと後で言わせないためだけのものになってしまっているのです。 もちろんその組織の歴史(企業なら社風)などによっても異なり、会議が機能している事例もありますが、その多くは現場レベルでの実務者の打ち合わせのようなものが多く、偉い管理職が集まるような会議ほど機能しなくなる傾向があると現役時代に感じました。国会はその最たるものかもしれません。 こんな小話があります。 自分の会社は会議が多過ぎてほかの業務の妨げになっているのではないかと気づいた社長は命じました。「これから毎週「会議を減らすための会議」をやれ」
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- pri_tama
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端的に言って、現在の国会の委員会制度や大企業の取締役会って第二次大戦後の占領下で強引にアメリカの制度を形だけ導入した物ですから、日本の制度や文化と合理的に一致しているとは言い難いです。 (国会何て変更しようとしたら憲法も絡んでくるので変えられない。) ⇒戦前の国会(帝国議会)は、本会議による討論を重視する主義ですし、大企業の企業経営は監査を重視する物でした。 また日本は「事件は会議室で起きているんじゃない!!」なんて某ドラマのセリフが色んな所で言われる様に、現場第一主義が非常に強い傾向が有ります。 ⇒明治維新の様な良い方向に動いた事例も有りあますが、昭和期の軍の暴走と言う負の事例も有ります。 (現場に近い若い者がどんどん進めていき、年寄りは追認するだけ…。) メンタリティ上は、上の人間は「良きに計らえ」と下の人間の高い教養と善性(責任感)を過剰に期待と強要して事を進める様な所が有ると思います。 なので、国会の委員会制度や大企業の取締役会の様な、上の人間が滅茶苦茶優秀且つ積極性が高い事を前提とした制度(アメリカ式)は、日本の土壌に合ってなく機能していないのではないでしょうか…。
- nagata2017
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国会本会議では 前もって質問が提出してあり 官僚が回答を書いています。 当日はそれを読み上げるだけです。
お礼