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大河ドラマ「光る君へ」
大河ドラマ「光る君へ」ですが、紫式部に関する新しい事実は取り入れられているんでしょうか?後、道兼と兼家との関係ですが、どう見ても、親の兼家の性格を写したような道兼ですから、やることが真っ黒いですね。兼家自身、安和の変で重要な役をやっていたようですからね。可愛いとは思えなかったと思いますがどうでしょうか?
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脚本家の大石静さんの創作です、名前だけが史実です。 日本の歴史では、女性が記録される事は、殆どありません。 皇后、中宮など要職に就いた人、北条正子、日野富子、北政所 などの歴史に関わった人、など、極、限られた女性だけです。 宮廷の女房は女御が最高位で次が更衣で、女房となります。 女御は天皇の側近なので、記録に残っていますが、更衣だった 小野小町の記録は残っていないので更衣を退いた後の事は、 庶民の口述で伝承されて、様々な伝説となっています。 紫式部は紫式部日記を書き残しているので、彼女の事を知る手立てに まりますね。 現代語訳のは著者の思惑がプラスされてしまうので、注釈付きの 原文で読まれるのが宜しいです。 ライバルの清少納言の記述は面白く興味深い処です。
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- oska2
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>大河ドラマ「光る君へ」ですが、紫式部に関する新しい事実は取り入れられているんでしょうか? あくまで「ドラマ」です。 服装・家屋などは、時代考証を行っています。 が、個々の人物についてはフィクションですよ。^^; 源氏物語そのものが、紫式部が書いたフィクションですよね。 もちろん、モデルになった源融という人物は実在しましたが・・・。 大阪の曽根崎ににも、源融関係する寺院が存在します。 ※何故か、秀頼の実母である「淀の方」の慰霊塔も移転して存在。 まぁ、紫式部の本名も何もかも不明なのが現状です。 本名が分からないので、父親の階級などで紫式部と名乗っているだけ。 本人が、どこの誰だか実際には不明ですから新事実と称する事項は未だ大河には用いないでしようね。 100%事実だ!と100人が100人認めれば、採用になります。 肖像画も残っていません。残念! 余談ですが、小野小町の実際の肖像画も残っていません。 残っていないから、三大美人なのかも? 小野小町の老後・死後は、悲惨ですよね。^^;
お礼
ご回答ありがとうございます。 本人が、どこの誰だか実際には不明ですから新事実と称する事項は未だ大河には用いないでしようね。 一応、受領階級とはいえ、貴族出身だというのは間違いないはずなんですけどね。父親は藤原為時で学者。娘の名前は分かっている。最大の謎は彼女の本名ですね。この時代は、日記「御堂関白記」、「小右記」、「権記」などがあり、比較的に平安時代の政治中枢の事が見て取れる時代ですから、ちょっと期待していました。
お礼
ご回答ありがとうございます。そういえば、彼女自身「紫式部日記」という作品を残していましたね。彼女の性格は、ちょっと、一般向けとは違う意味がありましたね。