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幼稚園を退職したいけど後めたさが残っています

新卒から今の園に勤め現在6年目になります。 自分の中で一つの区切りとして実は昨年度退職しようと思っていたのですが、どうしても思い入れのある子どもたちを今年度卒園させてから退職しようと決意し今年度は一生懸命頑張ってきました。 夏頃から退職の旨を園長の方にお話はしていたものの今年度退職者が多いことや私自身まだまだですが6年目ということもあり園のことは概ね右も左も分かってはいる為強く引き止められ、昇給の話や働きやすいようになるようずっと寄り添っていただきました。 ただ、私の中で1番保育のこともそうではない何気ないこともお話ができる入社当初からお世話になってきた上司の先生の退職が決まっていることや自分自身が保育に疲れてしまっているということ。担任を持つということは1年間良くも悪くも拘束され強い責任のもと働く覚悟が必要だということ。 来年度は園の教育方針が大きく変わり残されて一緒に働く先生方のように前向きではなく新しく変わることへの強い不安感、自分自身の思いが付いていききれないということ。心の底から頼れる先生がいないという寂しさを受け入れようとしても心が追いつかず非常に精神が不安定になっています。 辞める事を決意すると、残された先生方や子どもたちへの後ろめたさや折角の昇給のお話しのこと職場としてはホワイトだったので勿体無いのかな?と思ってしまったり、やっぱり続けないと!!と思うと無理だ、つらい、苦しい、と塞ぎ込んでしまったり非常に悩ましい状況が数ヶ月続いて最近は休日もずっと考え、家に引き篭もるようになっています。 4月からやりたい事があるわけではないのですが こんな状況で冷静な判断が現在できない状態です。第三者から見たみなさまのご意見などお聞かせいただければと思います。 よろしくお願い致します。

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回答No.2

仕事することについて、その職場への「ご奉公」と考えるのであれば、基本姿勢としては働く自分からの視点ではなく、その職場の視点から働く自分を含む職場の都合や要望、責務、職務、お客様やサービスを受ける人々(保育であれば目の前にいるこどもたち)の満足や喜び、そのすべてを見ようとして、滅私でとことん尽くす、という方向に向かうと思います。保育でなくても、福祉、医療、教育、ひいてはものを売る人であっても、同じように奉公としての仕事として見る、もしくは見られる、期待される、そういう期待を自ら勝手に心に映し出してやり甲斐に転嫁させる、そんなことがあると思います。 ある程度個人が個人として生きる権利や個人という考え方が存在している現代の日本の世の中で、それで何十年も健康に働ける人はいませんが、自分にといって保育という仕事を「奉公」という美談にしたいのであれば、それで耐えていく自分に美しさを感じてもう少しやっていけるのかもしれません。そうしながら耐性がついて、気がついたら何十年も奉公していた、という美談が生まれるかもしれません。 しかしそのことに既にブレーキがかかっているのであれば、別の観点を用意してみることもできると思います。 別の観点として可能なもののひとつに「キャリア」という考えがあります。キャリアは、個人が個人として、社会で仕事をしていく際に、社会に自分が個人として納得できる居場所と役割を見つけて、それを仕事としてそれに見合った報酬を得ながら従事していくものです。個人ベースなので、居場所や役割、働き方をその時々で変えて、しかし常に社会での自分の居場所と役割は見ながら、個人として満足や納得が得られるように働いていきます。 キャリアの観点でやってはいけないのは、自分を見失うことです。常に自分が何がしたい、どこにいたい、どうしていきたい、ということがわかっていなくても、それが今はわかっていない、ということをはっきりと自覚して、そこをどうするかを探すために模索を進めていく、というのがキャリアの観点です。 キャリアの観点で有効な支持軸は、それが自分にとって有効優位であるかどうか、という見方です。今の保育の職場での自分の役割や働き方が、自分という個人の現在と将来にとって納得ができるものであれば、続けていくことができるでしょう。そこに疑問符がついている、そこに疲れが見えている、ということであれば、誰がなんと言おうとも、誰になんと言われようとも、誰にどう思われるか(多くの場合自分の勝手な妄想ですが)も無視して、次の居場所や役割を探すことになります。 次を探すときにやってはいけないのは、今いる居場所や今の役割を簡単に捨ててしまってから探そうとすることです。つまり、次の方向が定まっていないのに、とにかく辞めてしまう、ということです。次に自分はどうしたいのか、どこでどのような役割を得れば自分が充実を感じられるのか、がっつり働きたいのか、学校に戻って何かを勉強してみたいのか、いろいろ可能性はあると思いますが、今いる自分の場所から見える範囲で、これかな、という感覚的なアンテナが向く方向で、具体的に見てみることです。次の仕事を探し始めてみる、復学したいのであれば学校の案内などを見てみる、などです。その際に、今いる場所や状況から逃げるために次の場所を用意してはいけません。あくまで、自分が納得できる、ここだったら次の一手として自分でOKと思える、という場所や役割を探します。 そう考えると、自分の時間である休みの日が、そういったことを考えてみたり、いろいろ情報を探したりして、充実した時間になることでしょう。そして自分で納得できるタイミングで、次の場所を用意して、今の場所を感謝の気持ちを持って去るのです。

  • retorofan
  • ベストアンサー率34% (435/1276)
回答No.1

>辞める事を決意すると、  残された先生方や子どもたちへの後ろめたさや・・・ 自分が辞めたら、残された人たちに済まない、申し訳ない。 それは考えすぎであり、強いて言わせてもらえば 「思い上がり」かも知れませんよ。 どこの幼稚園とて、ある意味では1つのシステムです。 毎年、職員が入れ替わり立ち代わりしても、それなりに 機能しているでしょう。 自分が結構頑張って相当なことをしてきた。 そう思っても、いざ自分がその場に居なくなっても、 さほど変わらずに、動いていくもの。 システムとは、そういうものなのです。 自分がシステムの一要員だったことを再認識できたら、 「後ろめたさ」に「サヨナラ!」ができます。

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