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パラリンピックが見れない
カテ違いならすみません。障害者の方々には大変ご不快と思いますがご勘弁下さい。 自分では障害のある方々への偏見や差別と言った意識はなく、どちらかと言うと何とか役に立てればと思っているのですが、パラリンピックの映像やニュースを見れません。何だかとっても痛々しい感じがするのです。 これはやはり私の潜在意識にそういった偏見があるからなのでしょうか?また、どうすればなくなるのでしょうか?ご教示下さい。
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こんにちは。 私もパラリンピックがメディアで殆ど取り沙汰されていない現実になんとも淋しい思いを感じています。 ところで、一つ、お尋ねしたいのですが、honkytonkyさんの云う「偏見」とは何を指すのでしょう? 福祉の原点は自分が「誰かの為に何かの為に役立ちたい」とする気持ちです。譬えその対象者に障害があろうとなかろうと、あるいはそう思う人物に障害があろうとなかろうと。 又、honkytonkyさんが「障害」をどのようの捉えているのかにもよるのかと思います。 「障害」と云うと、明らかに目で見えて耳で聞いて感じとれるものが障害と思われがちですが、障害そのものは誰にでもあるのではないでしょうか。 現代の福祉では、個人が持つ生物学上の身体的、精神的な障害を「障害」とするのみではなく、honkytonkyさんがお話しする、「パラリンピックの映像やニュースを見れません」という現実そのものも障害としており、これこそが現代社会が抱える大きな「障害」なのです。 …なんて、私なりに回答させて頂きました。
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お礼ありがとうございます、No.3の者です。 「痛い」について教えていただいたので、 また来てしまいました。それと、 私は…honkytonkyさんのことを、 うら若き娘さんだと何故か…思い込み、 そのつもりで回答していました。 失礼がありましたら、すみません(…汗) >障害があって可哀想、、そんな無理をしなくったって、、と勝手に解釈してたので「痛い」と言う表現になったのですが、そうではないのですね。 シッティング・バレーという、文字そのままの、 「座ってバレーボールをする」競技があるのですが、 あの競技でまず「怪我した、痛い」となるのは、 たいがい「指先」です…。 バレーボールの宿命です(汗)。 例えば持久力の無い私が、今2、30キロ走ったら、 きっと、苦しいです…(^^;) 一般の体力しかなければ、 誰だって、苦しくなると思います。 しかし、障害者ランナーの人は、平気で、 ニコニコ笑顔で走っていたりします…。 競技に伴う苦しさは、障害とは あまり関係がないと思います。以上参考まで。
お礼
いえいえとんでもありません。思った通りの皆さんのご意見を伺えて大変参考になりました。これからはもっと前向きに考えて生きたいと思います。本当にありがとうございました。
- 1112
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所詮日本は、福祉後進国であり利益を出す事しか能が 無いからです。 欧米諸国に習ってほしいもんです。
お礼
ほんとに福祉に関しては遅れていますね。貴重なご意見ありがとうございました。
- malearth
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こんばんは。 正直申し上げて、パラリンピックが見れないと言う事は、一種の差別・偏見だと思います。 痛々しいと思うのは「かわいそう」と思っているかでないでしょうか・・・? 私自身障害はありませんが、ボランティアなどの経験から、障害者の人たちは特別視されることを嫌っています。それは一生懸命努力しているからです。 それなのに、「かわいそう」「関わりたくない」「なんだろう?あの人」・・・ このように思う人たちが多すぎます。障害者としてではなく、一人の人間として見てあげてください。 一度、施設などでボランティアをするか、乙武さん(両手足が無い人)や障害者の人が書いた本を読む事をお勧めします。きっと見方が変わると思います。
お礼
その通りだと思います。今後改めて行きます。ありがとうございました。
>映像やニュースを見れません。何だかとっても痛々しい感じがするのです。 なんと勿体無い。見れば良かったのに…。 …と言っても、 私もテレビでしか見ておりません(…涙)。 お金と時間があったら、現地で見たかったです。 良かったですよ、パラリンピック。面白かった。 私は車椅子の団体競技が好きなので、 そういった種目は特に一生懸命見ていました。 車椅子競技のポイントには、ドライビング、 車椅子をいかに上手に操れるか、があり、 見ていてどきどき、わくわく、です。 テニスとかすごいです…。 左右に振られても、すばやく反応して サラリと返球する姿。…カッコ良いです。 それと、バスケットボール。 金メダルを取ったカナダの男子代表には、 ほれぼれしました…。 (予選含め全勝だったと記憶しています) どうしてあの体勢で、あのロングパスを出せるのか。 あの目線の低さからどうして 「あそこへパス」と判断し、 良いタメをつくりながらぴったり、 絶好のパスを出せるのか。 シュートをしたいけれどディフェンスが邪魔で、 仕方ないので、あえて、横に倒れ込んで 角度を作ってシュート打つ姿。 そういう面白さ。すごくカッコ良いですよ。 あと、全然放送されなくて残念だったのが、 車椅子ラグビー。多分あの競技は、 車椅子競技最凶(笑)です。 ラグビーですので、コンタクトプレー有り。 ゆえに、実際の試合見ると分かるのですが、 …コワイです。 ガッチャーン…と、すごい音して、 車椅子“ごと”選手がふっ飛ぶ様を見ると、 …色々なことを考えてしまいます。 「体も大事だけれど…車椅子も大切にね」と つぶやいてしまいます。 他にも沢山、色々見ましたが、 選手の皆様の、あの「強さ」を見ていると、 「本当にあなたは障害あるのですか?」と 聞きたくなりました。 >やはり私の潜在意識にそういった偏見があるからなのでしょうか?また、どうすればなくなるのでしょうか?ご教示下さい。 潜在意識については分かりかねますが、 とりあえず1度、実際に試合・競技風景を、 最初から最後まで見てみたら良いと思いますよ。 「何とか役に立てれば」とお考えでしたら、 ぜひ1度足を運んでみてはいかがですか(^^) 選手の何をみてhonkytonkyさんが 「痛い」と感じているのかが、 質問からちょっと分からなかったので、 いま1つ…のアドバイスとなっています(汗) 何かありましたら遠慮なく、補足要求してください。
お礼
大変貴重なご意見ありがとうございました。そういう風な純粋にスポーツとして楽しむと言う視線があって良いのですね。なんだかすごく安心しました。翻って私はやはり、(障害があって可哀想、、そんな無理をしなくったって、、)と勝手に解釈してたので「痛い」と言う表現になったのですが、そうではないのですね。彼らは人の目など気にせず自分自身の喜びとしてスポーツを捉えているのですよね。本当にありがとうございました。皆さんのお陰で、目からうろこが取れた様に感じます。
- groove
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honkytonkyさん、こんにちは。 パラリンピックの映像やニュースを見ると何だかとても痛々しく 感じるのですね。その「痛々しい」お気持ちの原因は何でしょうか? その原因を突き詰めていけば、なぜパラリンピックを見ることができ ないのかがわかるのではないでしょうか。 文面だけで判断してはいけないのですが、honkytonkyさんは、障碍を 持っている方と実際に接した経験があまりないのではないですか? 外見だけで判断できないことは、障碍を持っている方だけでなく、 障碍を持っていない方(健常者という言い方があまり好きではない ので)でも変わりないのではないでしょうか。 honkytonkyさんが、痛々しい思いとともに"何かがなくてもがんばって いる人達"のパラリンピックを見られるようになるといいですね。
お礼
その通りだと思います。頭だけでなく行動で理解して行かないとこの溝は埋まらないと感じてます。貴重なアドバイスありがとうございました。
お礼
そうですね。仰る通りです。「痛々しい」とか「直視できない」とか「健常者と障害者という風に分けて考える」と言う事自体が、偏見なのだと判りました。きちんと見つめる所から始めたいと思います。ありがとうございました。