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西郷隆盛が李氏朝鮮に渡って直談判していれば?
西郷隆盛が李氏朝鮮に渡って直談判していれば、日清戦争は起きなかったかもしれないんでしょうか?
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そもそも西郷が「おいどんが朝鮮に行く」と強く言いだした真意が現在でも分かっていないんですね。残された手紙から「自分が非武装で朝鮮に行けば、朝鮮は自分を殺すだろう。そしたら、それを口実に開戦できる」という意図だったかもしれないのです。 当時の明治政府はまだ生まれたばかりで、各地で反乱が起きるなど、国内の治安も不安定な状況でした。 「山積する国内問題に対処するために、外に敵を作る」というのは古今東西どこの国でも行われてきたことでした。北朝鮮なんてそれ一筋で今でも国内の治安を保っていますよね。国民に対して韓国が攻めてくる、日本が攻めてくる、アメリカが攻めてくるということによって「国を支持しないと外国人に支配される」と団結させているのです。 今の岸田首相も、ガソリン高や息子の不祥事などの国内問題で国民から批判されることが多いので、外交で点数を稼ごうとあっちこっちに精力的に活動していますよね。でもかえって中国から海産物の輸入を禁止されちゃってますけどね。 まあ政治ってそういうもんです。なかなか思い通りにはいかない。 なお、仮に西郷が朝鮮に渡って平和裏な外交を展開したとしても、どこかで政治的に失脚したら西南戦争になることは避けられなかったと思うので、結果は同じことだったと思います。 では、もし、西郷が政治的に失脚しなかったら? 失脚直前の西郷は国内政治と軍事の双方の最高権力者になっていました。これじゃあ江戸時代の将軍とあまり変わらない。そのうえ、西郷は鉄道に反対するなど、新しい時代にはついていけなかった旧体制のタイプの人です。だからこそ不満を持った元士族が「西郷どんなら、わしらの気持ちを分かってくれる」と集まってきたのです。 時代も政府も新しいのに、古いタイプのリーダーだったから、いずれ失脚する運命にあったと思います。
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- toka
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西郷は談判の成功を期して自らの派遣を主張したのではなく、談判が失敗に終わることを予期していたと言われています。 旧士族や農民の支持が厚い西郷が失脚すれば、木戸孝充や大久保利通ももはや彼らの暴発を抑えられなくなり、自然と開戦に向かうであろうというのが西郷の目論見だったようです。
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