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何故
何故今の宇宙は閉鎖系なのですか? 閉鎖しているという事は、限界がある、限界があるという事は壁がある。壁があるという事はその先も存在するという事とも捉えられる!ビッグバンの始まりの点の周りにも空間は存在している筈です。空間が存在するからこそ点が意味合いを持つ。そういう事ではないんでしょうか?
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- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
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a) 例えば、地球の表面は有限な2次元曲面ですが、果てがありません(遠ざかっているつもりでも、元の場所に戻ってしまう)。3次元の宇宙空間も、有限でも、曲がっていて、元に戻ってしまい、果てが無いと考えることができます。
- Nakay702
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以下のとおりお答えします。 >何故今の宇宙は閉鎖系なのですか? 閉鎖しているという事は、限界がある、限界があるという事は壁がある。壁があるという事はその先も存在するという事とも捉えられる!ビッグバンの始まりの点の周りにも空間は存在している筈です。空間が存在するからこそ点が意味合いを持つ。そういう事ではないんでしょうか? ⇒宇宙が「閉鎖しているという事は、限界がある、限界があるという事は壁がある。」と考えることは、日常の生活感覚からすれば、ごく自然な発想だと思います。ところが、現代天文学や物理学が説くこの宇宙論的実体は、なかなか一筋縄では捉えきれない問題であることが明らかになってきました。 ニュートン力学(日常感覚に近い)とアインシュタイン力学(相対性理論)の違いを考えると分かりやすいかも知れません。ニュートンは、箱(容器)が先にあってその中にリンゴ(物質)が入っている、すなわち、《宇宙空間の枠がまずあって、そこに銀河や星が入っている》という姿が宇宙の基本形だと考えました。一方、アインシュタインは、リンゴ(物質)があって初めて容器、すなわち、宇宙空間の枠ができると考えました。ということは、ニュートンの考える宇宙空間は「3次元の立体」で、アインシュタインのそれは物質の有り様に応じて変幻自在に変形する「4次元的変幻体」ということになります。しかも、前者の立体は出入りが自由にできて「壁」がないのに対し、後者の変動体では、出入りは自由でなく、ある種の「壁」がある、ということになります。 我々のいる宇宙空間に即して、その「壁」に相当するものは何に相当するかを考えてみましょう。ご存知のとおり、地球は、直径2~3光年の太陽系中にありますが、その太陽系は直径15万光年ほどの天の川銀河の中にありますね。そして、秒速200kmくらいの速度で天の川銀河の中心を回っていますが、1周するのに何と1億数千万年かかるそうです。天の川銀河内には1000億個以上の恒星があり、この大宇宙全体の中には2000億個以上の銀河があるのだそうです。宇宙がいかに広大であるか想像を絶してしまいますね。 さて、前置きが長くなりましたが、くだんの「壁」とは何か。それは、いわゆる「脱出速度」と言われるものです。地球の引力に拮抗して宇宙空間に留まる(人口衛星として地球を周回する)ために必要な「第1宇宙速度」は7.9 km/sで、第2宇宙速度(地球脱出)には11.2 km/s、第3宇宙速度(太陽系脱出)には16.7 km/sの速度で飛ぶことが求められるそうです。したがって、この大宇宙を脱出するための速度が、いかに大きなものになるかは想像だにできません。それは、もしかしたら光速に匹敵する速度かも知れません。 ともかく、通常我々はこの宇宙から脱出することは不可能ということになります。このことが、この宇宙が閉鎖系であることの意味になります。現在宇宙は加速膨張していると言われますが、宇宙が閉鎖系であるということは「断熱膨張」を意味しますので、宇宙は膨張するにしたがって温度が下がっていくことを意味します。つまり、我々の宇宙は目下冷えつつあるとも言えることになります。 かつてネイチャー誌か何かに「宇宙の最果ては自分だ」という論文が載ったことがあったような気がします。この宇宙からの脱出を目指して、高速ロケットで直進する場面を想定する。ロケットは宇宙から脱出できるか。否。変形宇宙の曲がりに沿って「直進」し、いずれ元の場に戻ってくるというのです。仮に、光速に近い速度で宇宙を脱出できたとしましょう。そのロケットはどうなるか。元の宇宙からは切り離された、別の独立小宇宙を形成することになる、と(外挿的に)推測されるようなのです。
- SPROCKETER
- ベストアンサー率26% (2125/7983)
宇宙は際限無く膨張を続けるのがわかっていますから、馬の鞍型の宇宙なので、閉鎖系とは言っても、開放系と同じです。宇宙がどのくらい広いのかもわかっていません。光速度の限界を超えた宇宙の地平線の向こう側にも広大な宇宙が広がっており、我々が見ている宇宙は全宇宙の一角に過ぎないと考えられています。 宇宙が閉鎖系だと考えられているのは、宇宙が無限に続くのであれば、恒星の数が無限になるので、宇宙全体が無限の恒星の光で照らし出されるので、宇宙が明るくなってしまう問題があるからです。宇宙が暗いのは有限だからであり、閉鎖系だからです。 宇宙に関して何でも無限だと考えてしまうと、宇宙の質量が無限であれば、宇宙はブラックホールになってしまいますし、宇宙が無限に広くて、星が無限にあるのであれば、宇宙は明るくなってしまいます。宇宙が無限の時間が過ぎているのであれば、全ての原子は崩壊して無くなってしまうという問題が起こります。要するに宇宙は有限で無ければ成り立たないのが現実であるわけです。
- runatickdance
- ベストアンサー率26% (375/1431)
まだ、何一つわかって 無いですよ、宇宙は。 仮想や空想です。 ビックバンと言うより、 まだ人類は、ビックマウスです。 海の深海でさえ、まだ人類は、 制覇征服さえして 解明してないのに、 宇宙のその先の先なんか、 わかるはずが無い。
- nagata2017
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今の宇宙は閉鎖系だというのは一つの説に過ぎません。 https://www.youtube.com/watch?v=ddcL6QMyH8s 4:25付近から宇宙の大きさについての話になります。 >点の周りにも空間は存在している ビッグバン理論では 空間は存在せず 特異点があっただけ ということです。 そんなこと言われても私も理解不能ですけどね ほんとに。 続けてこの動画 https://www.youtube.com/watch?v=tcP9wAkSd-s
補足
皆さん、本当にありがとうございます。とてもためになりとても勉強になっています。脱出できないからこそ宇宙が閉鎖しているという考え方、無限であるならば空を見上げた時に、宇宙を一様に満遍なく星が存在しているのだから、恒星の星星の光によって夜空が埋めつくされているという考え方、膨張している、つまり、離れれば離れるほど速度が増し宇宙の際は、光の速度を超えていて、その際から、こちらに向かって放つ光の矢は、一向にこちらに向かって進む事ができない。逆にどんどん光が引き離されて行ってしまい、云わば光がこちらに届かない、何億年何千億年かかろうが 光が届く事はないという考え方 。うん❗成る程と思いました‼️それは我々の住む宇宙はそうかもしれない、しかし空間が本当の意味での有限であるという確証には何一つも説明がいたっていないような気がします。ビッグバンを全てのものを生み出した根源のような意味合いで現代の科学は話を進めている。それだけでは無い理論もいっぱい出されてはいるようですが。しかし、点から始まるという帰結、そもそも始まるという考え方、この考え方自体が何かおかしいと私は感じています。始まりとは、ある意味区切りであり、どこから始まりどこで終わるという限りが生じる。限りがあるという事は、また先の存在、またその限りまでを内含し包括する新たな周りの存在を匂わせる、点や始まりとはそういうものではないでしょうか⁉️その行き着く先に、人は無の世界、絶対無という存在を持ち出す。不思議と、この絶対無を人はある意味感じ取る事が観念の世界ではできるようですが、これが合ってるか間違っているかはまた別問題で、考えれば考えるほどことごとく矛盾が生じ解らなくなる。しかし、人は観念の世界においては、絶対無はこういうものなんだと、たどる事ができる。今、私がいう絶対無のイメージを感じとって、この文を読んでくれている人も意味合いを共有できているのではないのかなと思います。でも結局それは、全てが有り続けるもの、無限に対して、その逆を想定するからではないでしょうか⁉️しかしそれは逆は有り得ない、無限を仮定したならば、始まりも終わりもないものに対して絶対無という存在は有り得ないからです。またその逆も云える、絶対無という概念から存在は生まれない、時が無いのだから。そもそも絶対無が存在するという言葉自体が間違っているような気がします‼️しかし、無限の概念においては、存在も時も全てが肯定できる。肯定できないのは誕生も、無くなるということも無いという事です‼️だからこそ全ての根源は、ビッグバンではなく無限の中❓️いや、即すといったものだと思います。無限を考える時科学の力も及ばなくなる、何故なら因果を考える事ができなくなる。無限の中に因果は存在するが、無限そのものに因果は当てはまらない‼️つまり、因果でおさめる科学が通用しない。無限の中に於いては全てが変化し流転して行くが、無限自体はありのままで、常に存在し空間に行き渡り遍満している、そういったものだと思います。この世の全ての存在、物質であり、空間であり、時であり、命であり、エネルギーであり、全てが無限の中にある。変化を繰り返して無限に即している、そういったものだと思います。賛成してくれる人もいると思います。反対の方もいると思います。しかし、自分はそのような気がします。科学は万物の構造を解き明かしていく事はできるが、始まりを解き明かす事はできない、逆に言えば、構造を解き明かしている事自体が無限の姿、始まりの姿を浮き彫りにしているという事なのだと思うのですが。実証を得た訳ではないので、まともとも言えません。