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仏教では、過去に罪を犯した身内をどう迎え入れるか

仏教は、八正道や六波羅蜜など自らを正す教えがありますが、その一方で慈悲の心もとなえられています。 たとえば、過去に犯罪を犯した人を、どう迎え入れたら良いのでしょうか。 2005年のタリウム事件は、娘が母親にタリウムを飲ませて殺しかけましたが、結局刑事裁判には至らず、父親は娘を受け入れる旨のことを述べていました。 もう出てきているかもしれませんが、そういう場合、仏教の教えに照らすと、親はどういう気持ちで迎え入れ、どんな対応をする必要があるのでしょうか。

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  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2327/5177)
回答No.2

「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」 ここでの「悪人」は、殺人・窃盗などの罪人ではありません。 人間が本来持っている欲求・煩悩の事です。 「悪人=罪人」と理解した善鸞(親鸞の息子)は、破門・勘当処分を受けています。 >仏教の教えに照らすと、親はどういう気持ちで迎え入れ、どんな対応をする必要があるのでしょうか。 親・子供が「懺悔の心を持つ」事ですかね。 何故罪を犯したのか?を、冷静に考える事です。 当然、正しい回答はありませんから個々の状況で答えは異なります。 刑務所に入るのも、自由を制限されて反省をする事ですよね。 これなら、自宅でも可能です。 ただ、親子関係が存在しますから「刑務所の様に、社会と隔絶」は出来ません。 西国三十三所がありますよね。 これは、徳道上人が「閻魔大王からの教え」で霊場を開きました。 曰く「地獄の定員がいっぱいだ。死ぬまでに、罪をあがなえ!」 そこで、三十三所を回る事で清らかな体になるのです。 当時は、電車・バスなどはありませんから巡礼自体が修行ですよね? 寺院から次の寺院に移動中は、色々と考えながら徒歩移動します。 自然豊かな山中を歩くと、何故か心が安らぎます。 ※観音正寺は、バス停から徒歩で標高430メートルの山頂を目指します。 話が逸れましたが、要は「懺悔と反省」です。 当事者が「何故、こんなバカげた事をしたんだろう」と答えを出す事です。

jipponge
質問者

お礼

理解を助けていただきありがとうございます

その他の回答 (2)

回答No.3

むしろ仏教哲学での手法では、あなたが何故疑問に思うのか、あんたが何故自分で答えを見出さないのか、自分自身に問いかけることが必要ですよ。 世の中に投げかけたら、単なるうわさ話です。 だから、素人向けでも学問研究の場では、質問に「自分はこう考える」という記述があったほうがいいのです。 私に言わせれば、「あなたに把握を赦せない感情がある」その悪に関する不寛容は、自己の内包する悪と関連し、あなたがいかなる悪の性質があるかだ。

回答No.1

「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」 という気持ちで迎え入れます。

jipponge
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 その「悪人」は、「悟れない人」ではなく「犯罪者」と解釈してもいいのですか

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