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志願兵・徴募の報酬について

維新戦争時、幕府も新政府軍も徴募を行っています。 強制的か否かは、脇に置いて この場合、報酬はどの段階で渡されるのでしょうか? 戦に出る前なのか、否かを是非知りたいので 知識のある方、是非教えて下さい。

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回答No.2

下野国のたった一例だけですが、 「戊辰戦争時の軍夫役 その性格と位置づけ」小林紀子氏 の論文は参考になると思います。 chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.jstage.jst.go.jp/article/kinseishikenkyukai/0/25/0_29/_pdf 13/21 第三章「軍夫に出る者」 第一節「旗本知行所都賀郡塩沢村の例」 塩沢村の又右衛門は、慶応4年9月4日に白川に向け出立したものの「足痛」となり、12日に帰村しています。(8ページに地図あり) 給金は、11月に支払われたそうです。 17/21 第三節「真岡代官所領那須郡伊王野村の例」 軍夫の給金は村が負担した。(略)給金を渡す時期は村によってまちまちであったようだ。 (略)派遣先で支払われている例もある。

prudence
質問者

お礼

kouki-koureisyaさま なんとスゴイ資料を見つけて教えて下さったんでしょう!! 全文読むだけでも大変な気力を要する資料ですもの 有りがたいを通り越し、ほとんど感動ものです。 本当に感謝しております。

その他の回答 (1)

  • head1192
  • ベストアンサー率20% (161/785)
回答No.1

志願兵でも徴兵でも俸給は同じで、どっちか思い出せないけど月1か週1、所属中隊の事務から手渡された。 兵士の装備や食事は官給ということもあり、兵士に手渡されるのは酒保や外出で使う小遣い程度の額だった。

prudence
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。 ただ正直に申しますと、 この回答ではちょっと疑問が残るんです。 と言うのも、維新の戦のとき 例えば盛岡藩の貧民農家から口減らしに 多くが応募、もしくは徴募に出て行っているはずなので。 という事は、残った家族が その報酬を手に入れていなければ 徴募された意味がないわけになりますよね。 応じた人物が死んでしまった場合などを考えると なおさら、どの段階での支払いだったのかとーー。 すみません、もう少しどなたかの ご回答を待たせて頂きます。

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