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牧野富太郎と大学について
牧野富太郎先生は、なぜ大学に行けなかったのですか?実家から学費を援助してもらえなかったからですか?なぜ大学側は、牧野富太郎先生を冷遇したのですか?やはり大学を出ていなかったからですか?
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以下のとおりお答えします。 >牧野富太郎先生は、なぜ大学に行けなかったのですか?実家から学費を援助してもらえなかったからですか? ⇒牧野富太郎氏は、酒造業を営む裕福な家に生まれましたので、学費を援助してもらえなかったことは考えられません。「大学に行けなかった」のでなく、「行かなかった」というのが実態だったと思います。大学の前に、そもそも小学校さえ中退していますが、その理由として、造り酒屋のあととりだったので、「小学校などで学業を修め、学問で身を立てることは全く考えていなかった」からだと言われています。 >なぜ大学側は、牧野富太郎先生を冷遇したのですか?やはり大学を出ていなかったからですか? ⇒同氏は1889年(明治22年)、27歳で新種の植物を発見、翌年には世界的に点々と隔離分布するムジナモを日本で新発見し、そのことを学術論文で世界に報告したことで、世界的に名を知られるようになりました。しかし、同年東大n矢田部教授・松村任三教授らにより、それまで認められていた東大農学部植物学教室の出入りを禁じられ、研究の道を断たれてしまいました。 31歳で、矢田部退任後の東京帝国大学理科大学の主任教授となった松村に呼び戻される形で東大助手となることができましたので、植物の研究を続け、多数の標本や著作を残していきます。ただ、学歴の無いことと、大学所蔵文献の使用方法(研究に熱中するあまり、参照用に借り出したままなかなか返却しないなど)による研究室の人々との軋轢もあり、厚遇はされなかったようです。また、松村教授とは植物の命名などを巡っても対立したりしています。 ということで、おっしゃるように、彼が冷遇されたのは、「大学を出ていなかったこと」、および「東大教授らの妨害、職位に関して不遇を買ったこと」などがその主因だったと推測されます。 なお、詳細は《https://ja.wikipedia.org/wiki/》をご参照ください。
お礼
ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。