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龍造寺隆信の異名「肥前の熊」について

龍造寺隆信の異名に「肥前の熊」がありますが、出典や由来はなんでしょうか? 熊のように大きな体つきだからでしょうか? 熊のように臆病だけど敵対した相手には厳しい態度をとるからでしょうか? それとも、曽祖父・龍造寺家兼の時代、田手畷の戦いで家臣の鍋島や石井が赤熊の部隊を率いて奇襲を行なって大成功を収めたことにあやかり、隆信も奇襲を行なう時は、赤熊部隊を実は編成しており、それが由来となったのでしょうか? 推測でも問題ありませんので、教えていただけますと幸いです。

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  • eroero4649
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回答No.1

竜造寺隆信は沖田畷の合戦で戦死してしまいますが、その当時は体が大きすぎて、というか実際は太り過ぎて馬に乗れず輿に乗って運ばれていたので、敗戦のときに逃げきれずに打ち取られたという話があるので、おそらくは体型に由来するのではないかなと思います。 あとWikipediaにもありますが、15歳のときに6、7人がこじ開けようとした寺の扉を一人で押さえていたら、力が余って扉が外れてしまった怪力の持ち主だったというエピソードもありますから、そこらへんの影響もあるでしょうね。 実は戦国大名には珍しいロシア型暴君タイプの人ですね。暴君といわれる戦国大名も「我が子には優しかった」的なエピソードがあるものですけれど、この人に関してはおそロシアエピソードばかりですものね。

poxtupoo
質問者

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