沖田畷はその名の通り、田んぼとなっている場所です。しかもただの田んぼではなくていわゆる深田なんですね。深田っちゅうのは難儀で、現代でもトラクターや田植え機が沈んでしまうことがあるそうです。
ですから鎧を着た武士なんかが入れるわけがなく、自ずと進撃路はあぜ道ぞいにならざるを得ません。
そうなると、まず兵力有利が有効に使えません。数が少ない側でも互角に戦うことができます。
さらに、島津の精兵です。兵力互角なら島津軍が有利に戦えました。そして、島津方が押し返したときに悲劇は起こります。
竜造寺軍は兵力有利ですから、逆にいえば前後に長く兵が詰まっています。最前線の兵士が島津軍に押されて後退し始めたとき、後方の兵士は逆に前に押している状態となります。狭いところで前からは後退してくるのがいて、後ろからは前進してくるのがいる。中間は押しくらまんじゅうになり、大混乱になります。潰れてしまうので、後ろの兵士に対して押してくるな、戻れと命じざるをえません。
さて、そうなると、後方の部隊に対しては前進するな、後退してくる味方のために道を空けろとなるわけですが、パニックになった前線の兵士たちは大混乱になって潰走してくるわけです。そうなるとその潰走がどんどん伝染して総軍大崩れ、となります。
こうなってしまうと、鍋島直茂だろうが上杉謙信だろうが諸葛孔明だろうがナポレオンだろうがどうすることもできません。さらに不幸なことに、龍造寺隆信は非常に太っていて馬にも乗れないため御輿に乗せられていたそうで、そのうえ隆信自身が非常に残虐な性格であったそうです。そういう性格だったということは、「命に代えても主人を守る」なんていう忠誠心は望めないということでもあります。大混乱の中、御輿を担いだ雑兵たちは御輿を捨てて逃げてしまったそうで、そうなると歩くのもままならないデブオヤジが戦場に残されるという事態になり、打ち取られてしまうという事態になりました。
なんとなれば、たぶん味方の武士たちからも「ヘタに主人が生き残ると後で『よくもわしを見捨てて逃げやがったなあ。たっぷり可愛がってやろうじゃねえか』となって恐ろしくってたまらねえのでいっそここで島津が打ち取ってくれないかなあ」と思われたのではないかと思います。
だから主人が打ち取られるという事態になっても、後釜に鍋島直茂が入ると案外にスムースにみんな従っていて、ということは「鍋島様が主人になるなら納得だねー。むしろ前よりいいんでねえの」と思われていたのではないかな、と思います。
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