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江戸城内で働く人々の数。
江戸城を今の都庁のようなものだと考えると、城内ではどんな仕事があって、それぞれの職場では、おおよそ何人くらいの人が働いていたのですか。 いくつかの組織図を見ますと、同朋や右筆が多いように思います。 書院番とか門番とかも少なくはないでしょう。 大名総登城の日や、大奥を含めると人数の把握が大変だと思いますので、これらは除いてください。 よろしくお願いいたします。
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>おおよそ何人くらいの人が働いていたのですか。 江戸時代の勤務は、現代のサラリーマンとはかなり異なりますので、正解を出すのが極めて難しいと思います。 なぜなら、番方みたいに交代制(同時に勤務しているのは定員の数分の一)もあれば、役方だと毎日登城している者がいたと思えば、役によっては月に数回しか登城しない者もいる…。 (また番方の大番は、交代制で二条城や大坂城等に番士を派遣していた。) また、町奉行みたいに登城は老中等との会議や将軍の裁可を貰うだけで、日常業務は奉行所という別の場所で、大量の部下を抱えて行っている場合も有ります。 という訳で、幕府の主要役職(定数約4,000人)の参考資料として、下記のHPを展開します。 http://www.interq.or.jp/jazz/rhinoda/edo/bakufu1.html HPの作成者が漏れている役職(時期によって統廃した物も有るでしょうし…。)が存在している可能性を指摘しています。 (城門警備の百人組の組士(定数:400人)等が計上されていない。) また上記のHPには無いものの、江戸城には五役と呼ばれる足軽階級以下の立場の人々もいました。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%BD%B9 御駕籠之者(定数: 150人) 御中間(定数: 560人) 御小人(定数:500人) 黒鍬之者(定数:470人) 御掃除之者(定数:200人) 以上の情報から、交代も有るので江戸城での同時に働く人は、2,000人規模は居たのではないかと思っています。 (これに、大奥の1,000人近くが加わる。) 因みに、幕臣は22,000人いたそうなので、大半が無役だったことに成ります。
お礼
ご回答ありがとうございます。 よく分かる資料を提示してくださったので、おおよその数は把握でき、これで十分です。 幕府は、“ワークシェアリング”をしていましたから、普通の日は、五役の人も合わせて2千人を超すサラリーマン武士が通勤していたことになるようです。 この表によると事務職では勘定方が多いですね。 五役のことは知りませんでした。 掃除する人や使い走りの人がいるはずだと思っていましたので、これで一つ疑問が消えました。