「謙虚さ」という言葉は,はじめからポジティヴな意味合いを含んでいますね。
そのメカニズムを分析するときは,そのプラスの意味づけを一度取り去って,「必ずしもその人の好ましい性質とのみ結びついているとは限らない」という前提で,クリティカルに考えてみた方がよいのではないかと思います。
表面上に見える「謙虚さ」の裏側に,どういう心理的メカニズムがはたらいているか……
★当然,いくつかのパターンがあると思いますが,まず,内省の習慣をもった人であることが多いのではないかと思います。
他人の評価(賞賛であれ批判であれ)に惑わされず,理想的なあり方との距離を冷静に評価できる人は,おのずから謙虚になるはずです。自分自身が(自分自身の目で見て)どういう状態であるか,また(人から見れば)どんなふうに見えているかについて,常に注意を怠らない人です。
★第2に,自尊心(虚栄心ではなく,自分を高い水準に保ちたいという気持ち)が高い人であることが多いのではないでしょうか。
傲慢さやうぬぼれが人間的成長の阻害要因として大きいことは,自己注視の習慣のある人ほどよく知っているはずです。自分を“きちんとした”人間として保ちたいという意識の高い人は,自分の傲慢さを喜ばないでしょう。
★第3に,他人の悪意に対して敏感な人。特に一目して明らかに優秀な人というのは,ねたみを受けやすい(ちょっとした不注意な言動を“鼻にかけている”と解釈されやすい)ものです。そのために嫌な思いをすることもあるでしょう。常に最大限“謙虚”に振る舞うことで,後になって「あのときあの人に悪くとられなかっただろうか」という答えの出ない不安の無限ループをグルグル回ったりするリスクを,あらかじめ回避することができます。
つまり,周囲の人の感情に気を配る人(単に人に嫌われるのが怖い人も含めて)にとっては,不遜に振る舞うより謙虚に振る舞う方が,結局はずっとラクなわけです。
このパターンでは,謙虚さは対人的な慎重さの副産物として生まれます。特に,他人の悪感情によって苦い思いをさせられたことのあって,自らを守るために謙虚さを身につけたような場合,その謙虚さは“偽善”と呼ばれるべきものかもしれませんが,そのような姿勢が,やがて内面にしっかりと定着していく場合もあるでしょう。
★4番目に,他人の居丈高な態度を見ると,すぐにムッとしたり,カチンときたりしてしまう人。人には厳しく自分には甘い,という方も世間にはいくらでもいますが,ある程度の自省能力と一貫性のある人間観をもっている人は,そうはならないはずです。
また,他人の態度が礼儀にかなっているか傍若無人かといったことがまったく気にならない(目に入らない)闊達なタイプではなく,表面には表れなくても「この人のこの態度はよくないなあ」と敏感に感じてしまう人の方が,頭の中に“反面教師”のイメージをしっかり持って,自分の体験したような不愉快な思いを人にさせないよう心がけるものではないでしょうか。
★5番目に,人間の対人的なあり方について,自分なりの明確な美意識をもっている人。他人の傲慢な姿勢を“みっともない”と感じる,あるいは,表に出なくても,自分が一瞬でもおごり高ぶって「どうだ」と思う気持ちを“醜い”と感じることのない人が,謙虚な姿勢を身につけられるとは思えません。
★6番目に,他者に対する“感謝”の気持ちを持っている人。自分の回りのよい条件,あるいは,周囲に起こるよい出来事について,自分の意志や能力以外の要素が果たしている役割を大きく評価できる人。
これは,小さいころからの周囲の影響でそうなることもあるでしょうし,何かはっきりしたきっかけがあって,他人の“おかげ様”を過小評価することを警戒する姿勢が身についた場合もあるかもしれません。
★7番目に,自己イメージがポジティヴで,安定している人。自分自身に対して自然にOKを出してあげられる人は,他人に対して偉ぶることで自分の価値を確認しようとする必要がありません。
もちろん,その上で他者を尊重する気持ちをきちんと持っていることが大前提になりますが。
★8番目に,これは上とは逆となりますが,自己イメージがネガティヴで,自分には幸せになる資格がないというネガティヴな感情に取りつかれているが,そういう抑鬱的な心性を不用意に見せると相手を困らせる結果にしかならないことを知っていて,その部分は表に出さないようにしている人。
このパターンでは,ネガティヴなイメージが幼少時に刷り込まれてしまっている場合も,何かはっきりした理由があってそう思い込んでいる場合もあるでしょう。やはり他人の視線に配慮する気持ちが相当なければ,「自分なんて」というただの卑屈さに堕してしまいます。
★9番目に,虚栄心が非常に強く,人から常に「立派な人」と見られないと気がすまない人が挙げられます。
一見この上なく謙虚な人の中には,心中では必ずしも他人の人格を尊重しているわけではなく,ただ人の反感を買わず好意だけを受けられるような仮面をかぶるのが天才的にうまい人も,(ごく一部ではあるでしょうが)多少は含まれているかもしれません。せっかく自他ともに認める優秀な人間であっても,「その分居丈高なヤツだ」と見られてしまっては台無しです。
これは,自己愛の強いタイプです。虚栄心の強さに自分で気がついておらず,自分自身,自分は人間だと思い込んでいる場合ようなもあるでしょう。
あえて,“謙虚さ”が表面のみに留まる場合と,ものの考え方そのものが謙虚である場合を,区別せずに並べてみました(1つには,人の心のありようは,必ずしも見かけどおりのものではない,と考えるからです)。
9つのパターンの中には,相反する関係のものもありますが,多くのケースでは,このうちのいくつがが混ざり合って,周囲の人が受ける“謙虚な人柄”という印象を表現しているのではないかと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >地道に努力する性格の人が努力した結果そうなっているような気がします。 >それほど努力してなくても器用にできる人は、こんなに簡単にできる >のに他の人ができないのは努力が足りないからだと思い込んで、謙虚からは >ほど遠くなる傾向があるような気がします。 なるほど・・・、という気がしました。器用かどうかというのは関係あるかもしれませんね。 >なまかじりの人はひけらかしパワーが最大限になっています。 これは、よく言われることですよね。よく分かります。 ありがとうございました。