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龍馬の油断

坂本龍馬は自分が命を 狙われていることを分かっているのに なぜ、もっと護衛を付けるとか、 変装する、居場所を隠すなどして 警戒しなかったんでしょうか? 永井某という幕府の重臣と 会っているから大丈夫だと 彼は言っていたらしいですが 油断のし過ぎじゃないですか?

みんなの回答

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.3

おおざっぱできゅうくつを嫌う竜馬の個性としか言いようがないですよ。 土佐藩邸でも薩摩藩邸でも、根回しすれば芸州藩邸でも好きに使えたでしょうに。 フォーマルな場を嫌い誰の眼も憚らずだらしない恰好でだらしない暮らしがしたい人なんですよ。 護衛を増やすにも海援隊の隊士は各自商務があるし彼ら自身が狙われる立場です。 薩摩に依頼したら薩摩に借りを作ります。 土佐に依頼しようにも正規の土佐藩氏(上士)となると無条件に信頼もできないし腕と覚悟も怪しいです。 そんなこと考えると、竜馬ならめんどくさいとなります。

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5119)
回答No.2

>坂本龍馬は自分が命を狙われていることを分かっているのに 司馬遼太郎の「竜馬が行く」が発表される迄、坂本龍馬はいちぶ歴史マニアしか知らなかった人物です。 ですから、実際の行動とは別に「多くの脚色」がされて今に至っています。 実際は、龍馬自身そんなに気にしていなかった様ですね。 >なぜ、もっと護衛を付けるとか、変装する、居場所を隠すなどして警戒しなかったんでしょうか? 今と違って、龍馬の姿・人相・顔を知っている者は多くはいません。 直接龍馬と会った者のみ「龍馬だ!」と分かる次第。 TVも新聞もない時代です。 当時の「人相書き(指名支配手配書)」も、龍馬とは全く異なった顔です。^^; 土方歳三の隣に龍馬が歩いていても、土方は気が付かなかったでしよう。 そこで、護衛をつけたりしなかったのです。 多くの護衛を付けると、龍馬若しくは重要人物が近くにいる事を教えている事になりますよね。 >油断のし過ぎじゃないですか? 確かに、油断が多かった様ですね。 暗殺されるまで、何度も危機を逃れていますよね。 少し、慢心があったのかも? 余談ですが・・・。 龍馬暗殺の実行犯・暗殺を命じた者は「未だに不明」ですよね。 維新後、「私が龍馬を殺した」と自首して警官になった者もいますがね。 が、何ら証拠がありません。 本人が、述べているだけです。 まぁ、政商グラバーの日記・記録が公表されれば明らかになります。 有名な「船中八策」についても、「私が龍馬に教えた」とグラバーは日記に書いています。 一介の脱藩浪士にしては、不思議な事が多すぎますね。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11083/34537)
回答No.1

護衛の数が増えれば増えるほど目立ちますし、行動範囲もバレてしまいます。護衛の人たちにどこに行くかの通知もしなきゃいけないじゃないですか。 また護衛が多くなれば、その護衛の中にどこかのスパイが潜り込む可能性が高くなります。そのスパイは直接襲うことはなくても、龍馬のスケジュールを知ったらそれを逐一報告すればいいですからね。 龍馬自身が身軽に振舞うことで再三の危険を逃れてきましたし、龍馬も剣術の腕には自信があったと思うので「ヘタな護衛より俺の方が強い」という自負もあったでしょう。 それに、護衛も自分の腹心ではないですから、いざというときに本当に守ってくれる保証はありません。実際、桜田門外の変では本来護衛である人たちの多くは恐怖で逃げてしまいました。 さて龍馬暗殺の実行犯は、おそらく京都見廻組であろうということで現在は確定に近いようです。京都見廻組は龍馬の潜伏先の情報を得て暗殺に向かいましたが、一番の鍵となるのが「誰が龍馬の潜伏先を京都見廻組に密告したのか」になりますね。 ここの謎は解明されておらず、今後も決定的な証拠が出てくることはないでしょうから推測するしかありません。京都見廻組が自ら作っていた捜査網に引っかかったのかもしれません。 けれど、私は「薩摩密告説」が怪しいなと思っています。龍馬の潜伏先の手配をしていた薩摩藩が密告したというものです。 龍馬クラスの人物の潜伏先を密告となると、西郷隆盛の耳に入れずに勝手に行うということはあり得ません。だから西郷隆盛が龍馬暗殺の間接的な黒幕だったのではないか、というのもなかなか面白い説なんじゃないかなと思っています。 そうだとしたら、龍馬が死ぬことは逃れられなかったかもしれません。

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