一方で、個人的な意見ではありますが
「ご飯を食べたい」に「目的色の強い動作的な行為の意味合いがある」という部分には多少の違和感があります。
目的色の強い動作こそ「が」を用いる傾向があるように思うのですが、やはりこれも私の誤りなのでしょうか。
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ちなみに参照文献を上げさせてもらいます。
1.「岩波日本語使い方考え方辞典」の「形容詞」の項
「これは、「~たい」という述語が感情形容詞の一種であると考えれば説明がつく。「水<が>飲みたい」が言えるのは、「飲みたい」(動詞から派生した複合形容詞)の対象だからである。(「飲みたい)」全体は動詞ではない。活用させてみればわかる)。「水<を>飲みたい」ももちろん正しい。こちらは{[水<を>飲み]たい}」(「水」は「飲む」の対象)という構造になっていると考えれば納得がいく。」(180頁)
2.吉田金彦「現代語助動詞の史的研究」
「水が+飲みたい
水を+飲み+たい
のように区切って考えらえている。話し手が水を飲むことを欲する心的状態において、「飲みたい」という形式が予想されるときは「水が飲みたい」となり、「飲む」が志向の中心になる時は「水を飲みたい」となるのである。前者は<状態的>で、後者は<動作的>な傾向を帯びる。」(298頁)
「「が…たい」の場合は対象語「水」「空」「横車」がすぐ上にあり、かつ中間に他の語句が来にくいのである。…これに比べ、「を」の方は、「を」と「たい」との距離が大きく離れていて、中間に他の修飾語をいくら挿入しても奇異には感じられないのである。…「を」格は述語が下の遠くにあっても支配できるが、「が」格はすぐ下の語でなければ支配できず…。助詞「が」はすぐ下の語を支配し、他方で知覚感情の対象を示すときに使われるのである。」(300頁)
お礼
度々有り難うございます。 大変よく理解できました。 参考文献を読ませていただいた後に、前回ご回答下さった内容を読み直したところ、私の読み間違いがはっきりとわかりました。 お手数をおかけいたしましたが、心より感謝申し上げます。 有り難うございました。