山本五十六は臆病な軍人だったのか
臆病な将官を連合艦隊司令長官に据えたから、日本は戦争に負けたのではないだろうか。
日露戦争の日本海海戦では、東郷平八郎連合艦隊司令長官は、旗艦「三笠」の艦橋に陣取って全軍を指揮した。指揮官が危険な艦橋にいるということで、全将兵の士気は大いに上がった。日本海海戦の勝利の一因として見落とせない。
しかし、日米戦争で山本五十六連合艦隊司令長官は、旗艦で全軍を指揮したことがあるのだろうか。
劈頭のハワイ海戦(真珠湾奇襲作戦)では、空母機動部隊の旗艦「赤城」に座乗せず、指揮を南雲中将に任せて遥か後方の九州佐伯湾の戦艦「長門」にいた。また、ミッドウェー海戦でも、空母「赤城」に座乗せず、「赤城」の後方300キロメートルの安全な「大和」ホテルにいた。
結局、山本五十六は臆病だったのではないだろうか。そんな山本を連合艦隊司令長官に据えるような海軍の人事システムが、敗戦の原因だったのではないだろうか。