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山本五十六が戦死せずに終戦
山本五十六がブーゲンビル上空で戦死せずに 生きて終戦を迎えたら 東條元帥のようにA級戦犯で裁かれていたと思いますか? それとも本人が生前に述べていたようにセントヘレナに島流しと言う可能性もあったのでしょうか? ※山本五十六 「大日本帝国は遠からず負ける…当然そうなれば私も責任を負わなければならない、その時生きているかは分からないが、そうなればセントヘレナへ島流しが関の山でしょう…」と
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山本五十六には戦犯になる理由がありません。A級は東條の様に戦争を起こした責任、B,C級は捕虜や占領地の住民に対する残虐行為もしくはその監督責任(松井石根陸軍大将など)、、、山本にはそのいずれも該当するものがありません。 五十六は海軍次官として海軍大臣・米内大将を強力に補佐し三国同盟反対、対米戦争反対を貫きました。陸軍と右翼からの暗殺の脅迫にも負けないでがんばった。「三国同盟なんか結んだらアメリカと戦争になる。そうなったら東京など丸焼けにされて日本人は惨めな目にあうだろう」とか、対米戦争も「負けるに決まった戦争をするやつがいるか!」とよく言っていたそうです。しかしこの二人が政府の要職を去って日本は地獄へ転げ落ちていきました。 対米開戦の時は山本は聯合艦隊司令長官。軍人として立派な地位でしたが所詮は実戦部隊の長。戦争する、しないは大本営(軍令部参謀本部)と政府が決めることでした。そしていよいよ東條内閣が開戦を決めると、親友の堀悌吉中将への手紙に「個人の意見と正確に正反対の決意を固め」 「、、、艦隊担当者としては到底尋常一様の作戦では見込み立たず、結局桶狭間とひよどり越えと川中島とを併せ行うのやむを得ざる羽目に追い込まれる、、、」 、と。この様な非常の覚悟であの戦争に臨んだ軍人はほかに見当たりません。いい加減な気持ちで戦争を始めた東條などとは一枚も二枚も格が上の軍人でした。 そしてやる以上は天皇の軍人としてベストを尽くそうと、空母機動部隊による航空機の大量集中使用で真珠湾攻撃という雄大で斬新な作戦を行ったのです。本人は開戦後二年もしないでソロモンの最前線で前線視察中に飛行機上で討ち死にしてしまい、戦争そのものも山本の予言通りの結末になりました。戦争の結果を山本の責任にする人がいますが、山本があんなに反対した対米戦争を決めておいてその結果を山本のせいにするのはどうかと思います。 なお、真珠湾攻撃の最後通牒・宣戦布告の遅れは山本五十六の責任ではなかった(奇襲攻撃とだまし討ちは違う)山本自身は何度も参謀に「最後通牒は攻撃前に相手に届く様になっているんだろうな」と念を押しています。しかしこういう事は政府の権限・責任です。遅れたのは日本政府とワシントンの日本大使館の責任でした。その様な背景を知らなかったアメリカでは、山本五十六は真珠湾のだまし討ちの元凶として憎まれていましたが、戦後は評価は一変しました。 という事で、山本五十六が戦争に生き残っても戦犯に指定される理由はありません。強いて言えば指揮下の部隊が残虐行為を行ってその監督責任を取らされる可能性ですが、山本自身、開戦の時点で既に聯合艦隊司令長官のポジションを前任者たちより大幅に超えていた為、実戦部隊からはずれて国内の要職についていた公算が大です。従って部下の残虐行為も可能性はありません。 ※というか山本長官が生存してたら、もう一、二年早く アメリカと講和してくれたから東京裁判戦犯裁判は、なかったとか\(^^;)...マ
お礼
そうなんですよね ただ早期講和は実現したか… 南はフィリピン 北は満州防衛を目的としたラインまで戦線を縮小させて講和に臨む との考えでしたがはたして大本営が認めたかどうか… 弱腰だなどと理由をつけて山本を更迭したかもしれません